July 2001
monologue logを見ているところ


お薦めKEYWORD: 島田雅彦、歌舞伎、勘九郎、荒木経惟、歯磨き、ワールドトレードセンター、坂本龍一、交通整理、山田太一、野田秀樹、、、

rest. and  2001/07/02(Mon)
 突然、耳が聞こえなくなったり、会社でPCに向かったまま、気が付くと涙がボロボロと止まらなくなって、「あら、コンタンクトが。」なんて言いながら、当然のようにテッィシュで涙を拭って知らん顔したり。

 だれにもはっきりとは窮状を訴えないまま、いろんなことを背負ったり、抱え込んだり、いろんなことが崩れたり、なくなったり、去年の夏から、そんなことの連続だった。気を張って前を向いて歩いて来たつもりが、どこにもやらない気持ちは、そんな風に身体を蝕むものであるらしい。そして、容赦なく、悪いことは重なるのか、悪い風だから、悪い方に流れるのかは、分らないが、気が付いたら、やけに身辺がすっきりしていた。

 週末は、蓼科に静養へ。
 そよそよと吹いて、新しい風を送ってくれる人々と。

 せっかくゆっくりできることだし、いろんなことを全部ぶちまけてすっきりしようかと思っていたりしたのだが、気が付いたらただただ楽しく酒を飲み、撮影し、あっという間に週末は終わっていた。

 静養とは言っても結構な強行軍だったような気がするのだが、帰宅してみると、気持ちよく身体の疲労はとれていた。うまく説明できない「泣きたい気分がのどにひっかかっていたようなの」は、なんだかすっきりととれている。
 心というのは、なかなか癒えないものではあるが、全部ぶちまけてしまおうかと思えるくらいに、回復はしてきたのだろう。とにかく、今必要なものは、ぬるま湯ではなく、新しい風。前へ、前へ。


maze  2001/07/03(Tue)
あぁ、もういったい何がどうなっているのやら。
 言葉もありません。


love  2001/07/04(Wed)
 「瀬戸内寂聴の人生相談」

 母が寝てしまった後、テレビをつけっぱなしてギターの練習をしていところ、NHK教育テレビで、この番組が流れ始めた。おやおや、NHKで、こんなのやるんだ。と、そのままつけっぱなしていた。「妹に彼をとられた」だの「不倫相手だった別れた彼を忘れられない」とかいう甘っちょろい相談に寂聴さんがバシバシ応える。なんだか意外におもしろい。黒田あゆみアナのクソ真面目かつ挑戦的な突っ込みも、なかなかおもしろい。

 「愛は想像力。相手が何を欲しているかを想像できないようじゃダメなんですよ。捨てられるんですよ。自分はこんなに尽くしたのに捨てられたって人、よくいますけどね。想像力が足りない。相手はそんな風な尽くし方、されたくなかったかもしれないってことが見えてない。」と、寂聴さん。

 ほほう。そりゃそうだ。つまり、手作りパッチワークで埋めつくしたり、手作りクッキー、手作りパン、、、と、何でも手作りで尽くした富田靖子扮するマリには、夜中バイクで高速をかっとばして息抜きしてた嵐を思う想像力に欠けていた、と、そういうわけですな。と、私が画面に向かってうなずいていると、

 「え、でもそれじゃ、相手の顔をうかがって尽くすだけの女になりませんか?」と、挑戦的な黒田アナ。

 「そりゃそうですよ。愛というのは、無償なんですよ。尽くすだけなのが愛じゃないですか。尽くすから尽くして欲しい、何かを返して欲しいというのなら、それは渇愛であって愛じゃないんですよ。渇愛ってのはもともと罪なことですよ。だから渇愛なら、命がけでしなさい。命がけなら不倫だって純愛ですよ。そして、すべてを失うのなら、許されるでしょう。愛というのはそんなにナマ優しいもんじゃないんですよ。今の人はね、人生の片手間で恋愛をしてるでしょう。そんなに簡単にすべきじゃない。簡単なんだからすぐに失って当然です。」(うーん、記憶が定かでないのですが、要約するとこんな感じだったか)

 「本当に愛しているならね、去るものは追うんじゃなくて、喜んで送り出すんですよ。」

 まったくです。ナームー。
 私、仏門に入ってもうまくいくんじゃないかという気がしてきました(わはは)。

 でもね、人の心というのは、それほど折り目正しくいかない。理路整然と、頭では説明できることでも、心と身体がついてくるかというとそうでもない。ま、解脱してないんだから当たり前ですが。だから、「恋が苦しい人は仏門へ入れ!」ということです。嘘です。ま、それぐらいの覚悟で。苦しいことが分ってて俗世に暮らしているのですから。人生楽ありゃ苦もあるさ。苦から逃げるにはね、戦線離脱するしかない。その代わり、それはそれは孤独ですよ。たぶん。

 追伸:友よ、警告、ありがとう。しかと受け留めた。


unsent mail  2001/07/05(Thu)
 大人になったね。
とても明快で、納得させられる文だった。
打たれたよ。

 書くの、時間かかったでしょう。単純に、それだけの時間を割いてくれる友がいるということだけでも、幸せだと思う。

 私は何でも理詰めでものを考えるところがあって、苦境にあっても、自分をプラスの方向に引っ張る思考と、理屈を持って、自ら前を向く方法を知っていると思う。だから、人に相談したところで、痛みは自分にしか分からないものであって、自分で切り開いていくしかないと考えては、人に助言を求めることをあまりしないし、まして、親に相談することなど、したこともない。でもね、今回は、君の言ってくれたことを信じてみようと思ったよ。ありがとう。

 そうだね。7年。振り返ると、とても長い。
 でもね、ずーっとすれ違っていたところが一つあるんだ。私は、何か物足りなく思ったりしても、無条件にすべて受け止めて愛してきたけれど、彼は、恋愛がしたかったんだという点において。

 単純に、人生経験の違いもあると思う。彼が私に出会ったのは、19のときだ。二十歳前の子が飛びついた恋愛で、いきなり達観した愛情を求めろと言う方が酷だということは分かっていながら、きっと分かってくれるときがくると信じて、ずっと高みから見守ってきた。常に一緒にいられた頃は、それでも成立していたんだよ。そこに安心感があるからね。でも、そうでなくなると、それは一転して、彼にとって、とても大きな壁になったのかもしれない。

 なんか禅問答みたいになったな。

 君の言うように、人生は長い。だから、いろんな恋愛をすればいいと思う。人を愛するのに、いろんな切り口があることを、知るべきだと思うし、彼には、これから知っていって欲しいと思う。私が伝えられなかったことを、自分で感じ取って生きていって欲しいと思う。

 と、冷静に論理的に、素の私に戻れば、考えられるんだよね。今回、動揺が大きかったのは、とにかく色んなことがいっぺんに重なったせいだと思う。

 人の「余裕」というのは、豊かな生活と逃げ場があって、初めて成立するものだよ。

 いきなり予想もしないときに、一気にそれらを喪失したら、心のバランスが崩れる。当たり前だけど。自分もそうだと痛感することは、私にとって必要なことだったと思う。どんな窮地にあっても、さっき書いたように、論理的にものごとをとらえてプラス方向に自分を引っ張りあげることができない人間を見下してしまう冷たさが、私の中にずっと有り続けてきたからね。母には、子供の頃からずーっと言われてきたよ。「あなたは頭はいいかもしれない。勉強はよくできるかもしれない。けれど、人間失格だ。」ってね。

 今回もまた一緒に暮らすようになって、ともすると悲観的に落ち込んだり愚痴モードに突入する母に、私は理屈でしか答えなかった。人生まだまだ長いんだから、起きてしまったことを悔いたり、自分の人生が無意味だとか、自分がいかにみじめでかわいそうか、そんな風に考えてないで、前を向きなさいってね。愚痴が始まると、すぐにそんなことを言っては跳ね除けてきた。そしたら、やっぱり言われたよ。「あんたは、冷たい。人間失格だ。」ってね。で、そこで「自分の人生棒に振っても良いと思ってまで、即座に救いの手を差し伸べて、頑張ってる娘によくそんなことが言えるわね。」と、返さずに、黙って受け止めてこられたのは、たぶん、今回のことで少しの成長が私にあったからだと思う。弱っている人は、いかようにも自分を守るために、相手を一撃で倒せる口上を口走るものだと、実感としてよく分っていたから。それはエゴというより、本能だ。

 人間は理不尽に悩んだり、回り道したり、笑ったり、怒ったり、泣いたりするもの。だから、人間も、人生も、おもしろい。それが分かってないで小説なんて書けるはずもない。そして、人にはもっと優しさと思い遣りを持って接するべきなんだってことが、実感できたというかね。

 「自分に厳しく、他人にも厳しく」私の座右の銘だなんて思っていたけど、「自分に厳しく他人には優しく、そして自分にも少し優しく」それくらいのスタンスでちょうどいいんだと分かったよ。

 人生、何が起こるか分からんね。そのハプニングに期待して、遠い先を悲観するのではなく、瞬間、瞬間を心から楽しんで過ごせたらいいな、と思うよ。私に著しく欠けている面だよね。人と遊んでいても、心から楽しもうという気合に欠けている。よって、楽しくてもつまんなそうに見える。

 話が逸れたな。

 多くを語らないという点で、私と彼は似ていると思う。そして、語り出すと、私の方が論理的にも、語彙能力的にも、文章表現能力的にも長けているのだから、私の説明の方がもっともらしく聞こえるのに違いない。彼をヒアリングしてみても、きっと圧倒的に説得力を欠くんじゃないかと思う。だからと言って、私の言うことだけを鵜のみにしないで欲しい。私はいかようにも自分を正当化する方法をよく知っているずるい人間だ。

 信頼はしてくれていいよ。尊敬はどーだか知んないけど。

 ま、そんなこと言ってないで、私抜きで、遊ぶなり、話聞いてあげるなりしてみたらどうかな。私が言うのも何なんだけど。人に一歩踏み込んで接してみるというのは、大切なことだと思う。「私と遊ぶときには必ずくっついてくる奴」じゃなくて、人として、一歩踏み込んで見てあげて欲しいということだね。いい機会じゃないかな。興味ないんなら別にいいけどさ。笑。

 そろそろっていうか、もうすっごい夏だよね。すっげーあちー。

 花火か。いいねぇ...。
 長平流の筋は立っていた。おまけに、彼のしたことは、まったく言葉の通りであった。青木自身、身にしみている。彼自身、勝手にしやがれ、という対象だったことがあるからである。理からいえば甚だあたたかいようなことではあるが、その時、彼が身にしみたのは、長平の冷たさである。それは、今となっても、理によってあたたかく生まれ変わって感ぜられる底の底のものではなかった。理屈だけでは納得できない性質のものである。

「君の云うことは、ツジツマが合いすぎて、気味が悪いね。そうツジツマが合いすぎちゃァ、いけねえな。」

坂口安吾『街はふるさと』より



move over  2001/07/07(Sat)
You say that it's over baby
You say that it's over now
But still you hang around, Now come on
Won't you move over

〜Move over / Janis Joplin


 なぜにこんな歌を選曲し、別れを決意した人の弾くベースに乗せて歌うんだ?私は。アホか?
 スタジオに入る前日に、このシニカルな構図に気付いた私は、胃が痛くなるどころか、あまりの滑稽さに、ニヤけてしまった。笑いが止まらない。涙が出るほど笑う。早く気付いとけよ。どアホ。

 本日、実に4年半ぶりくらいにバンドでスタジオに入った。ゴスペルのレッスンを受けた後、平塚の七夕祭りに向かう人々でごったがえす駅を後目に、学生時代よくよくお世話になったスタジオに向かう。織姫と彦星が1年に1度の再会を果たすという夜に、私は、かなり久方ぶりに彼との再会を果たし、4年半ぶりくらいに、メインボーカルとしてのマイクを握った。(うぇ〜青臭い小説に出てきそうな文脈)

 ブランクが長かったのと、会社の元主任と元指導員の先輩方との初音合わせであったため、緊張もあり、声が出るものか甚だ不安は大きかったが、歌い始めると、あまりの気持ち良さにウキウキしてしまった。終始こわばった笑顔で歌うんだろうかと思っていたが、自然に笑顔が弾けていた。気のせいか、未だかつてなかったほどに、声に張りがあったかもしれない。自然に抑揚がついていたかもしれない。とにかく気持ちよく、そして、楽しかった。(あぁ、良かった。私も彼も音楽をやっていて。)そう思え、奇妙に安らげた3時間だった。

 「ハイ、ここでブーンっていれてくんなきゃ。そうそう。そういうこと。」

 気が付いたら、彼とふつうに話していた。

 薄暗いスタジオ。
 生音がズシズシと響く中、陶酔して歌っていたら、とてもせつなくなって、無性に恋がしたくなった。


watch my back  2001/07/08(Sun)
 「あなたには、この私の人生を、最後まで見届ける義務があるのよ。」

 25年住み慣れた、そして、自分の手で造り上げてきた住まいを失うことが分かったとき、母は、自分の親友を、何かと理由を付けては家に寄せつけず、たった一人で出ていく準備をしたという(こんなとき、男というのは、本当に役に立たないものだ。父はたぶん、何もしなかったと思われる)。準備が整ったとき、母は、親友を訪ねて、ただ、そう言ったそうだ。
 まだ、家を失う経緯を公表できる時期ではなかった。

 「あなたのお母さんねぇ、突然、こんなことを言い出すものだから、本当にびっくりしたのよ。これは、ただ事じゃないことが起きてるって思ったわ。でも、本当に良かったわ。佳織ちゃんがいてくれて。おばちゃんも安心よ。お母さんのこと、頼むわね。」

 頼まれなくったって、自分の親なのだが、単純にそんな風に受け止めてくれる友が母にいて、本当に良かったと思った。

 つい最近、私は、この、母の受け売りの台詞を友人に対して吐いた。

 「助けて欲しいとも、支えて欲しいとも言わないから、どうか、私という人間の生き様を見守っていて欲しい。」と。

 でも、それをきっと私は、一番、「彼」に対して言いたかったのだろう、と思う。7年もの年月をなかったことにして、私という存在、それにまつわる様々なしがらみや結びつき、そんなもをすべて都合良く、自然消滅させてしまっていいはずがない。しばらくは私と顔を合わせるのは辛いのかもしれないが、是非乗り越えて欲しい。私はちゃんと二本足で立って、今ではようやく笑って歩いてる。義務があるとは決して言わない、でも、できることなら、遠くからでもいい、しっかり見届けて、励みにして欲しい。7年の月日と、できごと、出会った人々を無駄にしないで欲しい。

 (ごめん、ちゃんとあなたの分かる言葉にして説明してあげられなくて。)

 昨夜、スタジオで、そんな思いが一瞬よぎったが、私は、99%、音に、歌に、集中していた。


sentiment and fermentation  2001/07/10(Tue)
荒木経惟 フィクションとか嘘とか私小説とかいろいろあるけど、何かにいっぱい出会えることが写真家の要素ですね。でも負けて帰ってこないと駄目。

なかにし礼 それは小説家も同じ。負けるほどの出来事に出会い、それを自分の中で発酵させ、蒸留させて作品にして、それを持ってむくむくと立ち上がる。

荒木経惟 人間的魅力の最後の一番はセンチメンタルだと思う。それとノスタルジーがなかったら駄目です。

〜「婦人画報」8月号より抜粋



 まったく、駄目、駄目言うおじさんだね。
 でも私も、駄目だと思います。

 しょうがない。
 恵まれてるんだから、負けようったって負けようがないって?

 そうかな?
 それは、あなたが勝負に打って出たことがないだけです。

 さて、やりますかね。
 発酵期は過ぎ、蒸留過程に入りました。

 でも、そのまえに。
 今日は、とても、眠いです。


a sense of distance   2001/07/12(Thu)
 ネタなくて、再び。
荒木経惟 実は写真というのは距離感だし、人生も距離感。恋愛も人と人との距離感。

「婦人画報8月号」より


 距離感というのは、私にとって、とても神聖かつ重要な要素である。「何の?」と訊かれて「写真の」と答えられれば、実にかっこいいのだが、それはひとまず置いておいて、「人生」、あるいは、「人間関係」においてである。

 常に一定の距離を保てというのではない。それは、他人を無視して、他人との関わりを避けているだけの、ごく簡単な行為だ。自分の自由、他人の自由を十分尊重した上で、あるとき、ある状況下では、ぐっと近付いたり、ぐっと退いたり。そんな絶妙なタイミングと絶妙な距離感を持った人というのは、多分に魅力的である。
 魅力的な人間とは、石原慎太郎に言わせると、こういうことになる。
石原慎太郎 全然他人を気にすることなく、しかし他人を無視することなく、自分の感性を信じている。無類に自由な人は魅力的ですよ。

「婦人画報8月号」より


 これは、岡本太郎や小林秀雄など、強烈な自我を持った人間というのは魅力的であるという文脈での言葉で、「感性」というのは、そういう芸術家たちの芸術的センスのことを指している。

 だが、人間関係における「あるとき、ある状況下」の判断についても、しかり。多分に、その人の感性にかかっていると私は思う。だから、常にそばで張っていて、あーだこーだと手を差し伸べられるのは、私にとって著しく感性を欠いた行為なのだ。

 私は多分に自由に生きたいのだと思う。そして、周囲に、絶妙なタイミングと感性とを持って接してくれる人々に恵まれていることを、ありがたいと思うのである。


meet a novelist #1   2001/07/13(Fri)
 「梅雨の中休みだって。暑いわねぇ。」
 そんなことを言い合いながら、いったいいつまた雨が降り始めるのかと思って何日?いや何週間か過ぎただろうか。とにかく、この前雨が降ったのはいつだったのか思い出せないくらい、連日、カラッとした猛暑が続く。そしてそのまま、いつの間にか梅雨明けしていた。

 ここのところずっと忙しさの原因だった仕事も、いよいよ大詰め、というところで、延期になった。2ヶ月も先に。

 梅雨にも仕事にも肩透かしを食らい、空はあくまでも青く、外気は暑いを通り越して熱く、ときおり吹く風は、天使の吐息のように涼しく感じられる。

 昨晩、帰宅してメールをダウンロードすると、「島田雅彦講演会」というタイトルのメールが飛び込んで来た。そのメールは、私が大学時代所属していたサークルの現役部員が、「ゼミのパネルディスカッションに島田雅彦が参加するので、是非覗きにきてね」と、サークル全体にアナウンスしているものだった。彼女たちは、10年以上も前に入学したOGやOBが、綿々と、そのメーリングリストに入ってることは全然意識していないので、当然、そのメールは、現役生に向けられたものであった。が、開始時刻は13日の16:20〜、場所は、一番大きい階段教室、なかなかの好条件である。仕事をさっさと切り上げて早く帰ってくれば、もぐり込めなくはない。と、考え出すと、止まらない。わ、行きたいな。会社休もうかな。午後半休でも全然間に合うな。いいな。いいな。ざわざわ。ざわざわ...。

 コアなファンというわけではない。初めて島田雅彦の作品を手にとったのは、今年の3月のことだ。「君が壊れてしまう前に」。角川文庫の「愛の一冊フェア」という帯が付いて平積みになっていた。本のカバーには、勃起した少年のイラスト。わはは、何ですかこの本?と、めくって筆者紹介を見ると、たばこ片手にうつむいている、陰影ある二枚目作家の写真がそこにあった。

 私が手にとったのは、代表作ではないらしかったが、出だしからガッチリとハートをつかまれた。切れる。洗練され、研ぎすまされた文章だ。そして何よりも少し偉そうなところがいい。頭の良さが文に滲み出ている感じがする。

 中身は、というと、主人公の中学時代の日記が羅列されているだけの作品である。つながっていないようでありながら、ストーリーがありつつ、型破りでもあり、一気に読破できるおもしろさが多分に込められた楽しい作品だ。しかし、私が一番気に入ったのは、この「日記の羅列」が始まる前の導入部だ。まさに「導き入れる」がごとく。みごとだった。そして、思ったのだ。「こういうのが書きたいのかも知れない。」いやむしろ、「私が書きそうな文だ。」と。

 ところが、この島田雅彦という作家の作品には、不思議と中毒性がない(村上春樹にはものすごい中毒性があると思う。その証拠に、随分昔、「ノルウェイの森」(これはハードカバーだったが)に始まり、あっという間に文庫になっている彼の作品をすべて読み切った私は、しばらく禁断症状に喘いだものだ)。とにかく、あれだけ刺激を受けておきながら、しばらく島田雅彦のほかの作品を手にとろうとしなかったのは、なぜなのか。そして、最近になってふと思い出し、彼の代表作「彼岸先生」を買い求めたのはなぜなのか、まったくもって分からない。

 そして、先週の日曜日のこと。NHKの課外授業という番組を観ていたところ、「来週は、島田雅彦さん、恋愛小説家になる方法です。」と、最後に予告が流れた。まくら元には、まだ手を付けていない「彼岸先生」。これは絶対見なくては、という衝動にかられて、録画予約した。

 きわめつけは、昨夜のメールである。

 「これはもう呼ばれているとしか思えない。」と、勝手に思い込むことにした。

 そして、本日。引き続き、地獄のような猛暑。青い空。フライパンの上のように、ジリジリと焦げ付く日ざしと照り返し。ときおり吹く風が、悪魔の囁きのように、さわさわさわさわと木の葉を揺らすのが会社の窓から見えている。もう、いてもたってもいられない。

 「あのー。急で申し訳ないんですが、本日午後半休いただいていいですかねー。仕事も区切りがついたことですし。」

 「もちろんですよ。どうぞどうぞ。これまで無理な仕事をお願いして、疲れもたまってることでしょうから、どうぞゆっくり休んでください。」

 ゆっくり休むためじゃなかったが、ま、いいか。「じゃ、遠慮なく、そうさせていただきます。」

つづく



meet a novelist #2  2001/07/15(Sun)
 「島田です。」
 壇上の椅子に座ると、用意されていたミネラルウォーターをおもむろにつかんで開け、彼はマイクに向かってそう言った。

 シブイ。カッコいい。ーーーこれが私の率直な感想。

 16:20ジャスト。私は、階段教室の一番後ろのドアから、そっと忍び込んだ。満員御礼なのかと思いきや、なーんとまぁ、ガラ空き。一応、ジーンズにTシャツという格好で、学生っぽく若造りしていったものの、これではゼミ生じゃないとすぐバレちゃうかしら、と心配になった。が、それには及ばず。「ゼミ生の人は、後ろのテーブルに小説を提出してくださーい。」なんて、先生自身が、「ゼミ生じゃない人がまぎれてて当然」という感じののんきなアナウンスをしていたので。

 それにしても、小説の提出?そんなゼミが最近は、あるのですねぇ(私がいた頃はなかった)。うらやましい限り。帰って調べてみると、このゼミの内容は、こんなでした。

授業スケジュール

  第一回  小説の書き方
  第二回  読書会
  第三回  ゲスト・レクチャー
  第四回  合評会
  第五回  読書会
  第六回  読書会
  第七回  ゲスト・レクチャー
  第八回  合評会
  第九回  読書会
  第十回  読書会
  第十一回 合評会
  第十二回 読書会
  第十三回 読書会
  第十四回 合評会

評価方法

 短編小説の執筆、合評会、読書会、ゲストレクチャーなどの活動への参加実績による。

 読書して、島田雅彦のような著名人のレクチャーを聴いて、短編小説書いてれば、単位もらえるなんて、天国じゃないですか。分かってますかねぇ、学生さんは。 しかも、ここは文学部ではありません。就職口からひくてあまたの環境情報学部ですよ。「情報処理、もちろんできますよ。」という仮面をかぶって、文学にふけっていられる。

 しかも。帰って調べるまで、私はこのゼミを主催している先生について、まったく知識を持っていなかったのですが、実は、こんな著名な人でした(島田雅彦と並ぶと、ただのさえないおっさんって感じだったので、気にも留めなかったです。ごめんなさい)。島田雅彦とは仲良しなのか、何やら一冊、合作があるようです。

 で、なんですか、この出席率の悪さは。しかも、時間過ぎてから、当然という顔でどやどや入ってくる。入ってくるなり、ガサガサとコンビニ袋の音をたてて、飲み物やら食べ物やらを取り出したり、雑誌取り出して読みはじめたり、携帯メールしたり、寝ちゃったり、、、あ。私もそうだったのかな、学生の頃は。

 ねぇ、ねぇ、分かってんの?島田雅彦だよ。小説家だよ。泉鏡花賞とってる人だよ。生身の小説家なんて、普通に生活してたら、会う機会、ないんだよ。タレントや俳優なら、渋谷とか青山とかうろうろしてりゃ、ぶつかるかもしれないけど。小説家なんて、すれ違っても分からないだろ?(あ、ポイントズレてます?)ちゃんと、観て聴いとけよ、かっこいいんだから(ますますズレてます?)。

 当の御本人は、学生のそんな様子は、まったく気にも留めず、というか、学生というのはそういうもんさという感じで、ひょうひょうとしていらっしゃる。先生に連れられて、10分ほど遅れて入ってきたのだが、いつのまにか入ってきていて、最初のうち、学生と見分けがつかなかった。あれ?あれが島田雅彦?あ、そうだね。そうだ。

 ジーンズに、紺地に蛍光オレンジの幾何学模様のシャツ。
 まるで、40歳には見えません。 

つづく



meet a novelist #3  2001/07/17(Tue)
 「小説を書くという行為は、偽札造りに似ている。それは、言葉という信用制度への挑戦である。」

 講演は、学生代表の男女が二人、島田氏と共に壇上に座り、交互に質問を投じては、島田氏がそれに答えるという形式で進んだ。質問は、福田氏による作家島田雅彦に対する文芸評論を、質問形式に変え、少々毛を生えさせた程度のものであるようだった(福田氏の評論を読んだことはないので、良く知らないが、とにかくそういう感じがした)。とうてい学生自身から沸き上がっているとは思いがたい、良くできた、つまらないものばかりで、彼らがどんな石を投じたのか、私の印象にはほとんど残っていない。

 こんな風にして、学生というのは、重要な金塊をみすみす拾い損ねる。知識レベルが高く、適当に要領がいいというのは、大きく目立つ石を効率よくすくってみせる便利なザルを所持しているようでいて、貴重な金粉を取りこぼす実に役に立たないザルしか持ち合わせていないのと同じである。そして、苦労知らずで育ってきた頭のいい人というのは、得てして「何を求められているか、何を期待されているか」についてのアンテナを鋭敏に発達させてはいるが、「自分が何を欲しているか、何を得たいのか、何を勝ち取りたいのか、何をしたいのか」という原始的なアンテナを退化させてしまっている場合が多い。私は、自戒の念も込めてそれを残念に思ったが、島田氏は、それを踏まえて、自分の伝えたいことを、答えにみせかけて、しゃべりたいようにしゃべっては、「で、質問は何でしたっけ?」と、学生たちに一応の敬意を払ってみせるのだった。

 ただの大人ではない。学生というものの生態、学生時代への想像力をまるきり失していない、寛大な、いい大人である。いや、いい大人の男というべきか。

 「メールであらかじめ、今日の構成をいただきましたが、実によくできている。よくできすぎてはいるが、できれば、今日は、もっと地雷をばらまいてくれることに期待します。」島田氏は、そんな風に前置いたが、結局のところ、自ら地雷を設置しては、それを自ら踏んで爆発させ、場内を煙に巻いてみせるという芸当を、ひとりでやってのけた。パネルディスカッションという形式でありながら、それは、彼の独壇場であった。

 学生たちは、「今、という時代に、なぜ敢えて小説なのか?なぜ小説を書き続けるのか?」という根本的なメディア論へのヒントを得ようとすることに終始しているようだった(というか、あらかじめそのような前説があった)。たぶん、福田氏が与えた切り口の一つだったのだろう。私としても実に興味があったが、用意されるべくして用意されたシナリオかと思うと、やや面白味に欠け、地雷性を欠いているように思えた。

 かと思うと、「先生のアクロバティックな文章と、初期作品のいわゆる汗臭さが、最近は、失礼ながら随分洗練されてきているのは、なぜか。」などと、ちょっと地雷的な質問でありながら、「アクロバティック」とか「汗臭さ」とか、だれかが評したであろう表現をそのまま失敬した、つまらない質問の仕方をする。私が顧客宛てに出したメールの文面を、内容がほぼ同じだからと言って、新人さんがそのままコピーして宛先だけ別の顧客に変えて出しちゃうのと同じくらい興ざめだ。そうすることがたぶん、一番スマートで効率的なのかもしれない。でも、そのスマートさに表出してしまう愚鈍に気付くセンスを、せめて持ちあわせていてほしい。

 話がそれてしまった。

 とにかく、本日の主題・シナリオが用意されるに至った背景(福田氏による島田氏の前説、参考文献の提示、福田氏の福田氏の視点による糸口の提示などなど)が、早回しで再生されていくように感じられ、私も小ずるく歳をとったものだと、やや嫌気がさした。

 ところが、島田氏は、第一声として、冒頭の一言で、鮮やかに切り返してみせたのだ。寄り道しすぎて遠くなってしまったので、繰り返すと、

 「小説を書くという行為は、偽札造りに似ている。」

 それは、私の中にしらじらと広がったものを払拭して、好奇心をそそるものであった。実に、小説的な出だしではないか。

(あそこに座っているのは、本物の小説家なのだ)

 私は、この当たり前の感慨に改めてふけりながら、一気に、この作家の魅力にとりつかれていた。

ごめん、また、つづく



meet a novelist #4  2001/07/18(Wed)
 さて、偽札造りの解。
講演での島田雅彦氏の言葉を抜粋、要約する(順序とか細部の言葉は島田氏の発言とおりでないところもあるでしょう。たぶん。御免)。「どうして小説を書き続けるのか?なぜ、小説なのか?」という問いへの回答部分である。
 子供の頃、よく上野公園に行ったのだが、そこに行くと、必ず似顔絵描きがいた。紙に人の顔を描いてお金を貰う。ただの紙に何かを描けばお金になる。それがやりたかった。

 アメリカに、名前は失念したが、ドル紙幣をアートとして描いて、成功したアーティストがいる。彼は、とても緻密にドル紙幣をアートとして再現し、お店に入っては、描いた額面と同じ価値のモノと交換してくれという運動を展開したのだ。それは、言わば偽札造りであり、犯罪であるので、もちろん、取り合わない人が多かったが、そのうち、その偽札のアートとしての価値を見出し、交換してくれる人が出てくるようになった。そして、次第にその偽札アートは、額面以上の価値を生み、流通するようになったのだ。ギャラリーや美術館に展示されてね。

 ただの紙に1000円と描いても何の価値もないが、アートとしてガッチリ完成されていれば、1000円以上の価値となる。

 僕はバンドもやったし、絵もよく描いたが、たまたま小説家になったのは、それが一番早くお金になったからだ。自分の妄想を1個幾らで売るという世界。自分の妄想は、何もしなければ価値がないただの妄想で終わるが、言葉として紙に書いて、出版し、書籍としての物理的な重みを付けると、人にぶつけたりもできるし、流通してお金にもなる。

 アートの世界は、オリジナルを流通させる世界だ。文芸は、コピーを流通させる世界。ただ、コピーを作れば作るほど売れるというわけではない。きちんと流通させるには、価値を高めなければならない。片岡鶴太郎とか奥田瑛二とかが絵を描くと売れる。あんなの誰にだって描けるのに売れるのは、彼らが有名であるという価値があるから。有名になるには、テレビに出て馬鹿なことをすればいい。課外授業に出たりとか。(ここで笑うところなのだが、学生はだれ一人知らなかったようだ。無理もない。私が学生の頃、NHKを見たことが何度あっただろう。まして日曜の夕方なんて、テレビを見ていることがあっただろうか...。一瞬の間。でも、島田氏はひるまず続ける。)7月15日放送です。(私は、一人静かに大受けした。いたずらっぽい笑顔がたまらない。)

 それはともかく、書籍のコピーをきちんと流通にのせ、額面以上の価値を獲得するには、才能の証明をしなくてはならない。これまで、才能の証明には、それなりの経路(N賞だとかA賞だとかを受賞するとかね)があり、それが唯一だと信じられていたが、それだけじゃない。色々な可能性がある。学生さんには、ここのところをよく考えてみて欲しい。例えば、現代詩の世界。同じ文芸だが、詩集は、せいぜい刷られて50万部という世界。コピーをたくさん作っても、それほど売れるわけじゃない。ところが、最近は、詩をきれいな紙にきれいな字で書いて、絵も添えたりして、オリジナルとしての価値に重きをおくという動きもある。このように文芸がアートの流通にのれば、まったく違う展開があり得るのだ。
・・・

 学生の興味をひく、少しクールで、リアリスティックなご名答。最後に、きちんと学生の向学心をくすぐることも忘れないのも、また小憎らしい。

 ちなみに、彼による「彼岸先生」には、ニューヨークで、自分の息を袋に詰め、ありがたいチベットの活仏の霊息と称し、25セントで売って結構売れたというエピソードが出てきます。

つづく



meet a novelist #5  2001/07/20(Fri)
「ニセ札造りに似ている」「ドル紙幣=アート」「絵描き」「音楽;育ちがいいのでクラッシック?」「青少年の友というバンド;粗大ゴミで打楽器を創った」「小説家=資格・免許不要。自己申告」「価値基準の流通 小林秀雄 骨董」「読者のリテラシーの低下→小学生にも分かるように書いた方が流通に有利?」「洗練=野蛮に戻れないひがみ、だが、技術=目的化、やめろと言われてもやめられない」「職業意識」「手法上のプロパーに長けているジャンルが流通、SF→ミステリー→次はたぶん、歴史小説?」「実証主義」「大江さんだってSFを書いてた」「歴史小説への渇望」「語り手の発明=小説の業績」「語り手の設定=ストーリーの決定」重要「語り手をだれにするか、試み自体が目的」「歴史小説、ニュートラルな語り手」「6年周期で意図的に作風を変える」「彗星の住人←昭和天皇崩御、自粛ムード:実に不愉快な体験、あれでバブルがはじけた???、論争は起きず、一極集中、市民的自由・刺激的自由はいずこ?」「恋愛は国家を揺るがすか?」「ダイアナの例」「雅子様←大好きらしい」「優しいサヨクのための嬉遊曲」→「右翼:問題が起きたら親玉に会え;チンピラではダメ」「ヤクザは格好良く書くこと」

 今、私は「彼岸先生」を読んでいる。上に列挙したのは、この文庫の中表紙だとか中表紙裏だとかの余白に、私の手でギッチリと汚い字でメモられている内容の一部である。あいにく手帳を持ち歩く習慣がなく、筆記用具も持っていることさえ稀なのだが、たまたま鞄の中に、シャープペンシルが一本、入っていたのだ。そして、講演が終わったら読み始めようと思って持っていた「彼岸先生」の文庫。背に腹は変えられないので、余白を拝借。

 しかし、講演中、メモをとっていたのは、私くらいだったように思う。若い人は、さすがに記憶力がいいのだろう。というのは、単なる過信で、重要なことはメモっておかなければ、忘れはしないにしても、記憶を仕舞い込んだアドレスが不明で、いざ必要なときに取り出しに不便である、なんてことは、社会に出て身につまされないと分からないことなのだと思う。いませんか?あなたの周りに、決してメモをとらないで、何度も同じこと聞いてくるアホな若いのが。笑。ま、そんなことはどうでもよくて、私の場合、やむを得なかったとはいえ、「島田氏の講演→島田氏の作品→彼岸先生」という経路で思い出せば、そこにメモがあるという具合なので、なかなかいい格納場所を確保したと言える。

 それにしても、講演では、とにかく、いろんな話がクルクルと出てきたものです。ホントに頭のいい人だなぁと印象付けられました。論理的であるとか、ものすごい雑学博士であるとか、知能明晰であるとか、計算がはやいとか、要領がいいとか、記憶力がいいとか、理解が速いとか、そういう頭の良さじゃないのです。私の言う頭の良さというのは思考能力のこと。島田雅彦という人物は、すごくいい感性でもって、すごく洗練された思考をするのです。こういう頭の良さを私は愛します。とても。

 さて、最後に、メモの切れ端が意味することを、ここではいちいち解説はしませんが、このメモと、前回の「偽札の話」を踏まえて、彼の作品を読むと、ところどころつながる部分があるはずです、とだけお伝えしておきます。長々とおつきあいいただいた方に、せめてものオマケです。私はまだ1冊と半しか読んでいないので何とも言えないのですが、今のところ、偽札の話は「彼岸先生」に、バンドの話は「君が壊れてしまう前に」にリンクしているということは、分かっています。

 暑いですが、楽しい読書を。
海の日なんかクソくらえ。こんなに天気の好い日には、小説を読むのがトレンドです。たぶん。

おわり



spirit of zen #1  2001/07/21(Sat)
 本日は、午前6時に起床して、北鎌倉は臨済宗大本山円覚寺の夏期講座を受講してきた。脚本家・作家の山田太一氏の講演を聴くのが目的だったが、それ以外にも、老師による実に痛快な辛口説法、NHK解説委員による参議院戦の争点の解説などもあり、有意義な時を過ごせた。

 七百年以上も昔に、北条時宗が創建した禅寺は、明治以降、居士たちが参集する心の寺として親しまれ、多くの人材を輩出してきたらしい(円覚寺は、巨匠、小津安二郎の墓もあることでも有名である)。夏期講座は、その延長上にあり、毎年、各界の著名人を招いて開催されるもので、信者でなくとも、当日ふらりと入って、1200円払えば自由に参加できる。1200円で、三つの講演を聴けるのは、かなりお得である(畳みに3時間以上座っているのは、歌舞伎の平場と同じくらい辛いのですが。笑。頑張って早く行けば座ぶとんや椅子席もあるんですがね。スタートはなんと午前8時半です。たぶん、クーラーがないので午後だと暑いのでしょう)。

 鬱蒼と茂る老木の木陰にある荘厳な方丈の中に座り、蝉の鳴き声をバックに、自然の風に吹かれながら、説法や講演を聴いていると、志し高く推進力のあった過去の名士たちの力強い意志の流れが伝わってくるような気分になる。猛暑だというのに、とても涼しく、意識が冴え々とする。静かな闘志が生まれる場所という感じがした。

 「あなたがたは、もっと日本という国の歴史に敬意を払い、毅然とした歴史観と、誇りとを持ち、この病んだ国を良くしていこうという誠意を持たねばならない。一部の善良を装った郷原(八方美人)の言う偽善に、黙って従うのではなく、狂者と言われようとも狷者と言われようとも、本音をきちんと語り、イデオロギーに振り回されない良識ある人間が求められている。」労師の説法より

 狂者に非ずんば 興すこと能わず
 狷者に非ずんば 守ること能わず    吉田松陰

 老師が小泉首相を励ます言葉として書き贈った言葉だそうだ(昔から、この人は、という首相には代々の老師が何かありがたい言葉を贈る習わしがあったそうだ)。小泉さんは、変人と目されているが、変人で留まるのではなく、狂者、狷者となって頑張ってもらいたいという願いが込められているらしい。笑。今を生きる狂者、狷者の例として石原都知事や田中真紀子大臣の名もあがっていた。

 坊さんの言うことは、正直、かなり偽善的なものかな、と思っていたのだが、内容は、どっこい進歩的で過激ともとれるものだった。すごい辛口トーク。こんな風に、日本のエライお坊さんたちは、昔から政界の実力者に喝を入れ、精神的に支え、また、まだ芽の出ていない未来のリーダーを育てる役割を担ってきたのだろうか。

 考えてみれば、私は日本史をとらなかったので、日本の歴史をあまり詳しく知らない。鎌倉にこんなに近く居を構えながら、鎌倉幕府のこともほとんど知らない。円覚寺の夏期講座も10年住んでみて、初めて知った。それも母が見つけてきてくれたのである。

 あまりに多くのことを見落として生きているのではないか、ちょっと身につまされる。こんなことでは、いかんのです。島田雅彦だって、今度は歴史小説が来るって言ってたしね。笑。

 「クラゲのように骨がなく、ふわふわとただただ生きている若者が多すぎる。こんなことでは日本は滅びます。」だそうです。
 あぁ、ごもっとも、ごもっとも。

 本日、一番ショックを受けたのは、次のくだり。

 「A級戦犯15名。彼らは、その時代、日本という国をひっぱって共に戦った人々ですよ。彼らだけが裁かれればそれで済んでいると考え、一部の心無い人々の振り回す偽善・イデオロギーに黙って従っているとは何ごとか。彼らを弔って何が悪いと胸を張るべきだ。」

 老師に言わせると、小泉首相は靖国神社参拝を堂々と宣言し、真っ向から対峙しようとしている、なかなかの狂者であるようだ。

 私は広島という地に生まれ、戦争は過ちだった、二度と繰り返しません、という風土で育てられてきた。だからあの戦争はただの過ちであるとしか考えたことがなかった。目からウロコ。

 うーん。もちろん賛否両論あるだろう。たぶん、この発言には否の人が大多数なのかもしれない。というより否である方が実に楽であり、正しくも見える。でも、それに安住せず、ただ正否を決めて安穏とするのではなく、歴史に敬意を払い、しっかりとした歴史観を持て。なるほど、そんな風に考えたことは一度もなかった。不覚にもかなり刺激を受けてしまった。

 島田雅彦の講演で、昭和天皇崩御の前後の自粛ムードを実に不愉快な体験であったと言うくだりがあった。必要以上の自粛ムード。あの戦争の責任者が亡くなっていくことへの論争が起きてもよさそうなのに、そんな論争さえまったく起きず、ただただみんなが自粛ムードという一極に集中した。マスコミも、すべて。

 どうして、黙ってしまうのですか?一部の偽善的態度や発言に、かしづいてしまうのですか?日本人よ。大丈夫か?

 今、いろんな人がそんな思いで、日本を危ぶんでいるのを肌で感じています。明治維新の頃というのは、こんな感じだったのでしょうか...。はてさて。

 来週は、参議院選挙。靖国参拝は8月15日。
 あなたは、どんな意思表示をしますか。

 正解なんて、ないのです。考えて投じる。あなたの独自の意見で。それが大切。考えるだけの知識や実証能力がないのなら、少しは学びましょう。歴史を。

 明日も朝早く起き、今度は直木賞作家、安西篤子さんの講演を聴いてきます。今日聴いた山田太一さんの講演については、明日以降、書くかな。たぶん。


spirit of zen #2  2001/07/22(Sun)
 「見えなくなるもの 見えてくるもの」

 円覚寺の夏期講座での、山田太一氏による講演のタイトルだ。お坊さんに先導されて方丈の中央の通路をしずしずと入ってきた山田太一氏は、私が生で見る二番目の作家。先日見た島田雅彦氏の、いたずらっぽさを秘め、自信に満ち溢れている雰囲気とはまた違い、円熟し、落ち着いた雰囲気をかもし出す人だった。その講演は、彼の脈々と築かれた実績とは裏腹に、遠慮がちに始まったのであり、場内には、一瞬、「あれ?大丈夫かな?」という懸念が広がったのだった。しかし、その講演は、随所でぐっと引き付けられ、終わってみれば、タイトルの意味するところがじわじわじわっと広がってくる感慨深いものであった。物書きを目指す者として、幾許かのヒントを得ようという期待を持っていたことは否定しないが、お寺でなされる講演が、書き方講座であるはずもないので、実際のところ、全然期待はしていなかった。しかし、今、噛み締めれば噛み締めるほど、期待以上に多くを得たような気がしている。今週は、彼の綴った講演の内容を少しずつ要約していこうと思う。それは明日以降で。

 本日は、昨日に引き続き、再び早朝から円覚寺に出向いた。しばらく円覚寺の山門などを撮影したのち、方丈に入り、老師の説法と、安西篤子氏の講演を聴き、再び、円覚寺の境内を散策・撮影して帰ってきた。

 老師の本日の話題は、坊さんの値うちについて。お坊さんの階級制度や、衣の色の決まり、世襲制とお布施の意義と弊害などなど、現代の仏教界が抱える問題と、それを変えようとする老師の試みなどについて、またもや毒舌トークが繰り広げられ、場内はやんやの大喝采だった。このお坊さん、ただものではない感じ。なかなか魅力的なおじさま(お嫁さん募集中だそうです。興味のある方は、是非日曜説法などに出かけては?笑。あ、たぶん60過ぎてますが)。寺を訪れる国賓や皇族を迎える案内役の住職が、紫ではなく、黒の袈裟を着ているシーンがニュースで流れたら、仏教界にも革命が起きているんだなと思って拍手してあげてください。ふだん知ることのない仏教界の内実やしきたりを取材できたようで、なんだか得をしたような。突っ込むとおもしろい世界かもしれないとも思う。ともかく、得のある僧というのは、老いも若きも精悍で、かっこいい。お、と思いましたねぇ...。

 私が生で見る第3の作家・安西篤子氏の講演は、「北条時宗と女たち」というタイトルで、北条氏についての、彼女なりの歴史観を解説されたもので、大変勉強になった。今晩は、その内容を押さえた上で、はじめてNHKの大河ドラマをフルで見てみたら、とてもおもしろかった。円覚寺は、北条時宗が建立したものであるが、当初の目的は、蒙古襲来で戦死した人々を、敵・味方関わりなく弔うことにあったらしい。この時代の政治家に、そのような心意気があったことに、私達は胸を張るべきだと安西さんはおっしゃっていた。本日の大河ドラマでは、腹違いの兄、時輔を討った時宗に「どんな命も粗末にしてはならん」と訴え、代わりに償うと言い放って出家してしまう母の姿が描かれていた。北条氏には、政子に始まり、時宗の母など、女性のたちの力強い信念が、脈々と受け継がれていると、講演の中で説明があったのだが、そのことを知らされた上で見ると、なるほどと納得できるシーンであった。敵をも公平に弔おうという心意気は、北条氏ゆかりの女性たちの力強い信念が生かされたものなのだろう。

 講演後の境内の散策は、それなりの歴史観を持ってすれば、重力を得たものになり、撮影も楽しかった。

 さてさて、シケた3連休もそろそろ終わりですよ。


spirit of zen #3  2001/07/23(Mon)
 「努力してもどうにもならないことってあるんです。」
 今の若い人たちは、結婚を愛によって測ろうとします。この「愛が絶対である」という考え方は、西欧からきているものだと思いますが、結婚には、愛を育む以前に、子供を育てるだとか、性欲の処理だとか、老人介護とか、いろんな要素、役割がある。その部分を見ないで愛だけで結婚を測り、愛がなくなれば離婚するという現象が起きている。でも、結婚して何十年もたった夫婦に、出会った頃の熱烈な愛が持続するのかというと、絶対にそうじゃない。努力すれば、そうなるという人もいるだろうが、それは不可能なことです。

 最近、大阪で小学生が大勢殺傷された事件が起こりましたが、あれがきっかけで、地元のPTAで会合が開かれ、父母が毎日交代で近隣をパトロールしようという動きが出てきています。「あんなことが二度と起きてはいけないから。」と言ってね。僕なんかは、父母がパトロールすることによってあのような事件が二度と起きないかというとそうじゃないと思うし、なんとなく無駄な努力のような気がするし、多くの人も内心そう思っていると思うんです。でも、「二度と起きてはいけない。」と先に正論をふりかざされると、それはもっともだから、だれも反対できなくて。結局、本当に実行しなきゃいけないというムードになり、無駄な努力をせざるを得ないことに、実際なりそうなんですね。

 戦後民主主義で育ってきた人は、「どうにもならないことでも、目一杯努力すれば、なんとかなる。」ということを本気で信じている、信じなきゃいけないと思っている。また、努力しないことは悪だ、努力しない人は駄目な人間だと思っているふしがあるんですね。でも、本当にそうか?冷静になって考えてみると、世の中、努力したって叶わないことというのはたくさんあるんです。ある線までは、努力で報われても、それ以上の、才能とか運・不運とか不公平・不合理とか、色々な要素に支配される領域となると、やはりいくら努力したってだめなものはだめだったりします。それに、成功者が虎視耽々と努力しているかというと、そういう成功者に限ってなーんにも努力してなかったり、なんてことだってありますよね。

 それと同じように、二度と起こってはいけないことが無駄な努力によって本当に二度と起きないか?というとそれはそうだとは絶対に言えないわけです。ただ、僕らはそれを認めたくない、その現実を見たくないだけなのかもしれない。

 山田太一氏の講演は、こんな風に始まった。(要約なので、そのとおりじゃないですよ)

 昨日、放送だったTBSの東芝日曜劇場「恋がしたい 恋がしたい 恋がしたい」で、こんな感じのセリフが出てきた。「努力したら本当にあの二人がくっつくって、本気でそう思ってるの?学校の先生は、平気でそういう嘘を子供に教えるんだ?努力すれば何でもかなうって?」「そりゃぁ、僕は立場上?そう言うしかないから。」

 これを見ると、私たちは、少しずつ気が付き始めている時代を生きているとも言えるのかもしれないと思う。だれも大きな声では言わないし、教育現場では、まだまだそれを払拭できないでいるらしいけれど。

 でも、だれもが、すぐにすっぱりあきらめてしまう世の中というのもまた、それはそれで困ったものだと思う。だれも何も努力しない世の中。私は、結構、今の社会はそれに近いと思う。

 どの部分をどの線までは努力すべきなのか、そのバランスが難しいところなんだろうけれど、重要なのは、無駄に終わっても幸せと思える努力であるかどうか、本当に努力したいと思って努力するのか、そんな風な熱意を向けられる対象、かつ自分に合っている対象を見つけられるのかどうかということではなかろうか。

 無駄に終わっても幸せと思える自信がない、よって無駄な努力は避けて通る、そういう時代を、私たちは、生きている。自分が何をしたいのか、何を実現させたいのか、それさえも分からない人たちで溢れている。合理的なようでいて、閉塞している。未来がないね。

 これは、たぶん、理想とされた模範的な社会生活、理想の職業として長年想定されてきたものが、あまりに幅狭く、その魅力が欠如しており、将来性のなさが露呈している点にあると思う。
いい大学に入り、いい会社に入って、、、ってやつね。
何をやってもおもしろくなさそうなんだもの。しょうがない。
「僕はこの仕事を愛していて、生活はちょっと大変かもしれないけれど、そんなのどうにかなるんだし、そうすることによって本当に楽しい人生を生きている。」、そう胸を張って言える大人が世の中に少ないのだ。いや、たくさんいるのかもしれない。でもクローズアップされてこなかった。

 サラリーマン、OL後主婦、以外の選択肢を、子供の頃、幾つ示されただろう?ちょっと優秀な子だったなら、それに医者だとか弁護士が加わっただろうか。英語のできる子なら外交官とか。音楽ができる女の子はピアニストとか。運動神経のいい男の子は野球の選手とか。ね。

 物書きとか、絵描きとか、伝統工芸師だとか、役者だとか、料理人だとか、マラソン選手だとか、、、そういう選択肢を示されたことってあるだろうか?ないよね、きっと。たぶん、そういう選択肢に子供が気が付かないように、大多数の大人は、注意を払って育てようとしてきたはずだ。気付きかけたら、その道は険しく可能性が低いぞ、食って行けないぞ、ということしか教えない。実現するために、どんな努力と創意工夫が必要になるか、食っていくためのノウハウはどこでどういう学べばいいか、の提案をしてあげない。

 NHKの課外授業という番組、あれを見ると結構うらやましい。いろんな筋の成功者が母校を訪れて、普通ではない生き方、感じ方、表現の仕方を教える。学校ではああいう教育を毎日やっていけばいいのに、とつくづく思う。いろんな選択肢をとにかくたくさん見せる。それらにむいている者もいれば、そうでない者もいる。好きなものも嫌いなものもあるかもしれない。その現実をみせた上で、無駄な努力を省いてあげる。

 それぐらいがちょうどいいのだと思う。

 そして、「努力してもだめなものはだめなんだ。」という論理は、押し付けるのではなく実感として分かればいいことなのだ。最初からその解を見せてしまっては、子供は楽な方に逃げてしまう。だから、たとえ、失敗に終わっても悔いが残らない対象を、子供自身が見つけられる手助けを大人達は、すべきなのだろう。

 それからね。人生は、何度だってやり直しがきく、ということも教えてあげるべきだ。だから安心して、今興味を持った対象に打ち込み、努力してもこれ以上はもう駄目なんだと分かったときには、やり直せばいいと、言ってあげるべきなのだろう。人生は一度きりしかない、そして、今重要な決断をしろと迫る。そして、決断すると、それを最後までまっとうする責任を負わされたような気分にさせられる。そんな親が多くなかっただろうか...?

つづく



spirit of zen #4  2001/07/24(Tue)
 「人生を大局から語ることなかれ。」

 起承転結で言えば、転の部分になるのかな。本日は、そのくだりを要約します(記憶が確かでない部分は、勝手な加筆をしているところもありますので、山田太一氏の言葉そのものではない部分が多々あります)。
 「葉っぱのフレディ」という絵本があります。外国の人の描いた絵本です。この本、日本でとてもよく売れていると聞きます。中を見ると、木が育って、葉っぱが茂り、やがて、枯れて葉っぱが散り、腐葉土となって土に返っていく様子が描かれています。ただそれだけの本です。僕は、この程度の自然感であれば、何も外国の人にわざわざ絵に描いて教えてもらわなくても、日本人ならよく知っていると思うのですけれどね。

 ところが、この本が日本で飛ぶように売れている。それも、中年層以上の人によく売れているというのですから、とても不思議です。この本を買う大人たちは、この本からいったいどんなメッセージを受け取っている、あるいは受け取りたがっているのでしょうか。

 だれもがこの世に生まれ、育ち、結婚して、子供を育て、年老いて、やがて土に返っていく。あぁ、長い目で見れば、自分はなんてちっぽけな存在であり、それぞれの人生になんて、そんなに大きな意味はないんだな、でも願わくば、腐葉土となって、死んでも次の世代の役に立ってればいいな、と思うのでしょうか。僕はね、それは違うと思うんですよ。

 大きな歴史的な流れ、宇宙的な視野で見れば、僕ら一人一人は、本当にちっぽけな石同然です。石同士に大きな差異はない。それは真理ですよ。でも、みんな変わらぬ石だなんて考え方は滑稽ですよね。なぜなら、僕らは日常生活の中で生じる、わずかな差異を生きている。それにね。そんな風に意味がないんだなんて思いながら生きた人が、後に肥やしとなって次の世代の人たちのためになっているだなんて、そんなこと思っても、次の世代には迷惑なだけですよ。笑。

 それが現実なんです。だから僕は、このように、大局から見てものを言うのが好きじゃありません。子供たちに、生命の循環について教えるためだけならば、かまわないのですよ。事実、この本はそのことを意図しているだけなのかもしれない。でも、この本が中年層以上の人に売れるということは、彼らはきっと自分の現実から目をそらしたいのじゃないかと思えてしまいます。笑。

 もう一冊。これは、まだ売りに出されていないのですが、ある編集者がこれから売れる本だと言って見せてくれた本があります。これも絵本です。僕は、大局から人生を語るような本は、見たくもないって言って断ったんですがね、どうしてもと言われたので目を通したんです。

 この本のストーリーは、こうです。

 【ある一人の男が、庭のある一軒家に一人で暮らしている。この男は毎朝、自転車に乗ってどこかへ仕事に出かけて行き、夕方になると帰ってくる。(どんな仕事をしているのかという背景はまったく語られない)

 庭には、一本の素晴らしいりんごの木が植えられていて、その男はその木をとても愛し、大切に世話をしている。また、近所の人が通りかかってその木のことを誉めてくれるのを心から喜び、誇りに思っている。

 ところが、ある日、落雷があって、その木が無残にも倒れてしまう。それでも、男は懸命に世話をして、その木は、また芽を出すようになる。でも、昔ほど美しい姿には戻らない。そこで、男は、新しいりんごの苗を買ってきて、古いりんごの木の横に植えるのですね。

 何年かが過ぎ、その新しい木が美しく育ち、また近所の人に誉められるまでになる。その頃には、もう男は年老いていて病気で伏せるようになっている。

 ある雪の降る晩、男が庭に降りてきて、古いりんごの木をそっと撫で、そして部屋に戻っていく。

 次の朝、男は死んでいる。
 りんごの老木も朽ち果てている。】

 そこで話はおしまいです。

 このストーリーを聞いて、みなさんは、まず、何を考えますか。

 このストーリーはいったい何を意味するのか、何を訴えようとしているのか。まず、そういう風に考えようとはしませんか?

 僕らは、必ず、見えない何かから言葉を引き出して普遍化しようとするのです。でも、僕は、それは必要ないと思うんですよ。

 「ある偏屈な男が、一人ぼっちで生活し、りんごの木だけを愛し、そして、ある雪の降る晩に、結局一人ぼっちで死んでいった。あぁ、こういう寂しい人生もあるのだなぁ。」

 そういう風に考えると、そこにある種の感動がある。

 事実、この本はそのことだけしか語っていないのです。このように、僕たちは、目の前にあるそれそのものを、まず見つめるべきなんだと思うんです。もちろん、作者には、何かそれを比喩として訴えかけようという意図があるのかもしれないし、ないのかもしれない。でも、まず、意味なんかないんだ、ととらえる、そして、それそのものを、おもしろがる、要約しない、裁かない、それでいいのだと思います。

 ピカソの絵だってね、何が描かれているんだろう、何を意味しているんだろうなんて考える必要なんてないんです。絵、そのものを楽しめばいい。

 「どんなものだって『有り』なんだな。」と、とらえる、そしてそれぞれの出来事、人生、生活の差異をおもしろがる、あるいは共感する。それが、僕はドラマや小説の役割だと思っています。

 サムセット・モームがこんなことを言っています。
 「小説を書くためには、三つの大切な要素がある。でも、それが何なのか、まったく分からない。」と。笑。

 真理なんて、追及したってどこにも存在しないと言ってもいいのです。

 しかし、真理は、もちろん大切です。真理が示されることによって、人は随分と楽になる。無駄に悩んだり、回り道したり、無駄な努力をしないで済みます。人生を大局から語れば、今の悩みなんて、ちっぽけで、どうせなるようにしかならない、と考えて、楽になることができる。

 ここは禅寺ですから、こういうことを言うのも何ですが、お坊さんというのは真理を追究する、そして悟りを開いて無我の境地に達する。それは大変立派なことです。でも、僕らは、そこからまた現実に戻ってこなければならない。

 大局が示すもの、真理が示すことは正しい、そのとおりだけれど、そうはならないことってたくさんある。つまらないことで悩んだり、無駄な努力をしてみたり、見えない真理を求めたがったり、人間はそういう生き物なんですよ。そのことをまず認めましょう。

 「僕らは日常生活の中で生じる、わずかな差異を生きている」

 なんだかいい言葉だ。今日御紹介した「大局からものを語るな」というくだりが、私には一番グッとくるところだった。「そこにある種の感動がある。」というところでは、不覚にもじわっときてしまった。なぜだろうね。それをここで、言葉にしてしまうと、何かもったいない気がするので、引用も長くなったことだし、本日はノーコメントにして、噛み締めておくに留めます。

つづく



spirit of zen #5  2001/07/25(Wed)
 「年齢の力、見えてくるもの」

 さて、spirit of zen、本日で最終回です。ところどころ脈略がないと思われるところがあると思いますが、それは、私の記憶がだいぶ薄れてきているせいだと思ってください。山田太一氏が脈略なくおしゃべりになったわけでは決してありません。あしからず。

 私の集中力にも記憶力にも「限界」があるとうわけです。
 僕は、最近よく、「年齢の力」ということを考えます。

 あるとき、講演で立山に行きました。ちょうど紅葉の美しい時期で、タクシーから見える立山連峰の、それこそ屏風絵のような美しさに、感嘆していると、タクシーの運転手が、「私は、この地で生まれ育って、一歩も外に出たことがないけれど、30になったときに、初めて、この立山連峰の美しさに気が付いて、誇りに思うようになったんですよ。」と教えてくれました。それまでは、観光客がひっきりなしに来ては、立山を誉めるのを、お世辞か何かで言ってるものと思っていたらしいのです。

 仕事がうまくいかず、ぶらぶらとパチンコでもしていて、負けてですね(栄えているときには、山なんか見ないでしょうから、たぶん、負けてるんです)、ふっと山を見上げ、あぁ、きれいだな、と心から感動する。仕事がうまくいかないこととか、パチンコで負けたことなんて、ほんと小さな嘆きだなと思えて、癒されたりしてね。

 こんな風に、20代で見えなかったものが、30代になって初めて見えてくるということがあります。飛び級をして、早く大学に入学できた天才少年に、性欲とは何か、異性を恋焦がれる想いとはどんなだ、とか説いてみたところで、優秀な頭脳を持ってして観念で理解できても、実感を持って理解できないのと同じですね。それを指して、小林秀雄は、こんなようなことを言っていました。「達成目標ではない。努力とは関係なく、年齢で到達するものである。」と。

 その立山の講演での対談の相手に、控え室で、「年齢の力」のことについて、こんな風に僕が考えていると話したら、その方は、こうおっしゃっていました。「年齢の力もそうだけど、人生観を語る人には、成功者が多い。」と。確かにそうですね。僕らがお手本にすべきとされてきた人生観というものは、みんな成功者の口によって語られてきたものです。ところが、その成功者には、短命な人が多い。<いろんな著名人の死亡年齢が挙げられた後>例えば、キリストは、32歳で死んだことになっている。もし、キリストがもっと長生きしていたら、あんな内容の新約聖書は生まれなかったんじゃないかと思います。

 僕らは、一握りの成功者、それも人生を存分に生きなかった人の説いた論理に、振り回されて生きているのかもしれません。

 今、高齢化社会が進んで、多くの人は70年、80年生きるようになってきました。人間、70年も80年も生きていると、必ず、一度は、自分の人生の根底から覆されるような挫折を味わいます。これまで矍鑠として「だれの世話にもならん。」と言って生きてきた人も、これまで特に不幸な目にも合わずに、何となくするするっと幸せに生きてこられた人も、やっぱりだれかの世話にならなければ生きていけなくなるわけです。

 それで、ホームなんかで生活する人も大勢出てきています。これまで話したこともないような人と集団で一つ屋根の下で暮らすというのは、大変なことです。女性はわりと順応性があるみたいですが、これまで世間の中の自分の位置関係で存在を確認しがちだった男性は、特にそれがこたえるわけですね。僕らはこれから大変なことを乗り越えていかなければならないと思うわけです。

 アメリカのある映画で、そういう老人を扱ったストーリーのものがあります。年老いた父親とその娘が海岸を散歩していると、父親が、友人たちがどんどん亡くなっていき、寂しいとこぼす。すると、娘は、父親に言うんですね。「古い友達がいなくなったなら、新しい友達を作ればいいじゃない。」とね。その映画では、実際、その老人はそれを試みて、新しい友達を作っていくというところで終わるんです。でも、僕はこんなアメリカの軽薄積極主義みたいなものを信じません。笑。古い友達がいなくなったから、新しい友達を作って補えるかというと、絶対にそうじゃありません。友達というのは、長年の積み重ねによってできるものです。そこには、それなりの歴史がある。だから、味わいがあるのであり、いなくなると寂しいわけです。僕らは、そういう積み重ねられてきた過去への敬意というものを持たなければならない。

 人の過去、歴史というのは、いろんな不公平、不合理、運、不運の積み重ねです。

 イギリスのゴルフコースは、風などの自然の力によって左右されやすいようにわざと設計されると言います。運に左右される。人生に近いわけですね。アメリカや日本のゴルフコースは、できるだけそういう自然の要素に左右されず、みんなが公平にプレイできるように設計されます。どちらがありがたいか、というと、僕らには、自然に近い方がありがたいですよね。努力したって、運、不運に左右される。何事にも限界がある。僕らは、そんな風に人生というものを受け入れ、生き方を考え直していくべきなのです。

 年齢を重ねると、限界が見えてきます。僕なんかは、歳を取るごとに、自分がだんだん周りから必要とされなくなってくるなということを感じています。だんだん役に立たなくなってくるんですね。そして、僕は「宿命」ということを考えるに至ります。以前、大江健三郎さんに会ったときにその話をすると「僕は宿命という言葉は嫌いなので、使わない。」と言って怒られましたけどね。あぁ、この人も戦後民主主義なんだなぁ、と思いました。でも、宿命なんてないんだ、努力すれば、運命は変えられる。そういうがむしゃらな時代は、もう終わったんだと思います。僕らは、そういう生き方を変えることを考え始めなければいけない。そして、歳をとると、そういうことが見えてきて実感として語れるようになる。

 若い人にとっては、見えないことによって可能性が広がるということもあります。でも、言うのは簡単だけれども、そうはならないことだってあるんだ、それが人生なんだ、ということを僕らは語り始めなければならない。大多数の不合理な人生を生き抜いた人の人生観、人生の味わい、過去への敬意、それらを残していく。それが、次の世代への肥やしとなる。これが僕らのこれからの役割なんだと思います。

 お寺での夏期講座。だから、聴衆はほとんどが、中高年やお年寄りだ。締めくくりは、彼等の心をつかむ内容であるなぁ、と思いながら聞いた。事実、講演が終わったあと、彼が去って見えなくなるまで拍手が止まなかった。2日ほど通ったが、そんな風に盛大な拍手をもらった講演者は、山田太一氏ただ一人であった。笑いあり、感動あり、涙ありの、いい講演だった。
 

おわり



mass psycho #1  2001/07/26(Thu)
 7月25日午後3時16分

パソコンの画面から目線を外し、窓の方を見やると、外は暗闇に包まれていた。道路を走る車のテールランプが赤々と光って尾を引いている。それまで集中して画面に向かっていたためか、一瞬、時間の感覚が狂う。(あれ?もう残業時間だったっけ?7時くらい?)時計を見ると、まだ午後3時過ぎだった。

「見て、外、真っ暗だよ。まだ3時なのに。」思わず、隣りの新人君に同意を求める。が、普段、ほとんど話し掛けないので、びっくりされてしまう。
「え、えぇ。そ、そうですね。」
(何びびってんだよ。天気の話ぐらい普通に応じろよ。)ちょっと物足りなかったので、隣りのフロアにいる友人のもとにぶらぶら歩いて行って、同意を求めた。
「ねぇ。窓の外見たぁ?なんかすごいよ。」
ひっきりなしに稲光りがし、勢いのいい雨が窓を叩く。道路や歩道を滝のように水が流れていく。
「すごいねぇ。電車止まるかなぁ。帰れないかもね。」
口々に心配するわりには、みんな嬉しそうだ。何週間ぶりか?と思える久しぶりの恵みの雨だ。

 午後3時45分

この世の終わりみたいな空が、夕方前らしい空に戻り、あっという間に晴れ間が広がり始めた。
なんだ。もうショーは終わりか。

 午後6時50分

仕事を終えて、社を出る。
あれだけ流れていた水はどこへ?路面はまるきり乾いていて、豪雨があったことさえも幻だったのかと思えてくる。熱帯地獄の驚異。薄気味悪さに身震いしてみる。
蒸し暑い。

 午後7時

恐れていたとおり、電車は大幅に遅れている。集中豪雨による信号機故障。そんなことだろうと思った。ベンチに座って小説に没頭。しばらくしてやってきた電車は、既に満員御礼だったが、かろうじて身体をねじ込むことができた。

 午後7時10分

乗り換え駅に吐き出されたものの、次の電車はもっと遅れているらしい。次発案内の電光掲示には、行き先だけ表示され、時刻は表示されていない。
ホームにどんどん人が増えていく。混雑を避けて、先頭車両が停車するあたりまで歩いて行き、再び小説を読んで待つ。

 午後7時35分

やっと電車到着。と思ったら、11両編成の短い電車。混雑を避けようと良心を働かせた人々の前には、電車が届かない。途端に、前4両分の良心的人々の群れが、家路を急ぐ見境のない群れへと変貌し、先頭車両周辺に押し寄せる。当たり前ながら、電車は既に満員だったので、全員乗るのは不可能だ。
あきらめて、ベンチに座ってもうしばらく小説を読むことにする。

「次の電車、すぐ続いておりまーす。御協力お願いしまーす。」何度も放送が流れるが、往生際の悪い人々がドア付近でうごめいており、ドアが閉まらない。そのまま電車は10分程度立ち往生。
次の電車を待つことにした往生際の良い良心的なおじさんのひとりが、ついに切れて車掌に詰め寄る。
「これだけ、待たせておいて、こんなに人が待っているのに、次の電車が何両編成かぐらい表示するか、アナウンスするかしたらどうなんだ!それが親切というものや!それをやらんから、こんなことになるんや!」
さすが良心的なだけあって、ただブチ切れただけではなかったようだ。ごもっとも。

 7時43分

ようやく前の電車のドアが閉まって出て行った。
「お待たせしました。次の電車、すぐ入って参ります。列車は11両編成で参ります。柱番号X番からY番までの間でお待ちください。」
また、11両かいな。
ともあれ、さっきのおじさんの苦言は生かされた。

 7時45分

駅手前で停車してしばらく待たされたと思われる満員御礼の電車が滑り込んでくる。土砂崩れのように、人々が押し出される。みんな暑さと窮屈さにげんなりした表情だ。その中に、ゆかたを着た少年と、若いヤンキー風父親が1組、混じっている。
「疲れただろう。ここで降りて休もうな。」
ゆかたを着ているということは、目的地は、今夜花火大会をやっている江ノ島であろう。急がないと終わってしまう時間だが、潔い決断だ。(いい父親を持ったなぁ、坊や。大事にしろよ。)とか思ってみる。

あらかじめアナウンスがあったために、きちんと分散して列を作った人々は、わりと秩序だって、電車に吸い込まれた。私も、柱につかまれるナイスポジションをゲット。暑いし窮屈だが、しばらくの辛抱だ。

つづく



mass psycho #2  2001/07/27(Fri)
 7月25日7時50分

電車が次の駅にゆっくりと滑り込む。四つの路線が集まるこの駅では、プラットフォームに収まり切らないほどの人の群れが、なかなか来ない電車を心待ちにしていた様子。普段一つのプラットフォームには、1人か2人の駅員しか立たないところ、1両間隔で駅員が立ち、溢れる人々をとりあえず押さえ込んでいる。

危険な状態。

明石の花火大会での無残な事故が頭をよぎる。それでも、駅員がこれだけたくさん出て誘導するのであれば、大丈夫なのか、と淡い期待を抱いたが、先頭車両には駅員が行き渡っておらず、ドアが開いた途端、大混乱に陥った。

「痛い!痛い!痛ーーーい!」
入り口付近で大袈裟に泣き叫ぶ女が一人。ちっとも怯まず、無言でその女に肘鉄や膝蹴りを見舞いながら強引に乗り込もうとするおやじ軍団。
「降ります。」「あのー、降りるんです。」
奥の方からおずおずと声がし始める。
「降りる人がいますよ!」
声が行き交うが、強引おやじ軍団は、乗ったが最後、一時撤退して降りる人をひとまず降ろそうという気持ちの余裕も失っているらしい。
「降りることが分かってるんなら先にそう言いやがれ。」などとのたまう。というか、まず、降りる人いないかな、という一瞬の間さえなかったのだが。
ともあれ、ここで降りれば二度と乗れまい、というぐらいの寿司詰め状態ではある。「覆水盆に帰らず」とはこういうことを言う(全然うそです)。

この駅から先は、この路線しかないゾーンであるため、電車を待つ人々に焦燥感と悲壮感が漂っている。お腹も空いているに違いない。花火大会が終わるまでの時間に間に合うかどうかの瀬戸際で、江ノ島に向かう人もいるのだろう。加えて、豪雨が蒸発して淀んでいる湿気地獄の中で長時間待っていたのだ。頭がおかしくなるのも肯ける。

それでも、押し合い圧し合いは、そのうち淘汰され、降りる人は降り、乗りたいと強く切望したごく僅かの人々は乗った(プラットフォームの人々の大半は、そのまま残された)。

 7時55分

電車が発車し、みな押し花みたいに不自然な格好で圧迫されながらも、ほっと安堵の息を付く。それもつかの間、入り口から少し入ったあたりに強引に乗り込んだ一人のおやじが大きな声でブツブツ不平を言い始める。
「そこのやつら、何そこで頑張ってるんだ!もっと奥に詰めんか!奥の方は空いているの、外から見えてたんだぞ。」という具合。奥の方にいる私たちはというと、詰めようったって詰められないから、詰められない、という状況であった。
(いい加減にしてくれ、窮屈なのはお前だけじゃない。)
誰もが心の中でつぶやいた。うっかり苦笑を顔に出してしまった人は、
「なんだ、お前、何笑ってやがる。」と絡まれる。みんな慌てて無表情の仮面を付ける。

一度、不平を吐き出してみると、それは、彼にある種の昂揚と快感をもたらしたのか、留まるところを知らない。同じセリフを何度も何度も執拗に繰り返す。
(あぁ、うるさい。いいから黙ってくれ。)
そこへ、ふっと落ち着いた老人の声が割って入った。
「座席の間にも詰めるといいかもしれんなぁ。」
この列車は、ボックスシートタイプ。(確かに、ボックスシートの間に2人くらい立てなくはないな。)みんな不意を突かれて、うるさいおやじのことを少し忘れた。ただ、実行しようにも動けない。何を言い出す、じいさん、頼むよ。と、みんな半信半疑だった。

すると、うるさいおやじは、同意者を得たため、少しの落ち着きを取り戻し、少しトーンダウンした口調で、こんな風にのたまわった。
「昔のラッシュはこんなもんじゃなかったんだぞ。」
老人が、すかさず、
「あぁ、そうだなぁ。終戦直後はなぁ。確かにそうだったなぁ。」と答えてあげる。(ちなみにこのうるさいおやじはたぶん40代くらいだったので、終戦直後の電車に乗った経験はないだろう。)
「山の手線なんかもっとすごかったんだぞ。」うるさいおやじ、さらにトーンダウン。ここまでくるとただの遠吠えだ。
(じいさん、エライぞ。)うるさいおやじのプライドを傷つけずに、うまくぼけて鎮火してみせた老人のテクニックに、誰もが心の中で拍手した。

「降りる人も先に降ろさないで、無理矢理乗ってきたような人にそんなこと言われたくありません。」私なら、たぶんそんなことを言って、油を注いでしまったに違いない。これを若さと言う(うそ)。でも、今は、おやじをやっつけることより、穏やかな空気を取り戻すことの方が先決だ。

が、ここへ来て、空気の読めない血気盛んな若いあんちゃんが狼煙を上げる。
「黙らねぇと、次の駅ではったおすぞ。」
(あぁ、言ってしまった。)
「なんだとー!」
「るせーんだよ。」
「いいよ。お前くらいのしてやるぞ。」
あぁ、最悪の状態だ。鎮火した炎が再び活性化する。降りた途端、殴り合いか?事件だ事件だ。みんな固唾を飲んだ。さすがの老人も、ここで割ってはいると命が危ないだろう。昨今のさまざまな駅での暴力事件の見出しが頭をよぎり、どうするべきか、途方に暮れる。ところが、老人は慌てず、ぼけた口調で、
「まぁ、まぁ、やめなさいよぉ。ねぇ、暑いんだから。やめときましょうよぉ。」と、ここでも消火活動に成功するのであった。やんややんや。

 8時ちょうど

電車は次の駅に到着する。比較的大きな乗り換え駅のため、土石流のように人々が降りていく。押される人、ひきずられる鞄。あちこちで悲鳴があがる。鎮火されたおやじ、血気盛んなあんちゃんも、いつのまにか剥ぎ取られるようにいなくなった。その後、プラットフォームで殴り合いの決闘が行われたかどうかは、知るよしもない。

私の降りる駅まであと一区間。だいぶ人が降り、嵐も去ったので、もう大丈夫、と思ったところ、「ヨイショーぅ。」という掛け声と共に、再びどどどどっと人々が押し込まれてくる。あぁぁあぁあ。車両の中央まで一気に送り込まれる。窮屈なのには慣れてきたが、こうなると、次の駅で降りられるのかどうかが不安になる。

さっきの老人は、席を譲られて座っていた。功労賞だ。少し暖かい気持ちが戻ってきたところで、電車が出発する。

 8時5分

私の横にいる女性がどこにも捕まれないまま、不安定な姿勢を強いられている。電車が揺れるたびに、「すみません。すみません。」と私に謝ってくる。幸い、手すりに捕まっていた私は、比較的安定した姿勢を保てていたので、「大丈夫ですよ。」と言って、寄りかかって良いこと示した。

最初は恐縮していた彼女も、電車がブレーキをかけ始めた頃には安心して身を任せてきた。大丈夫とは言ったものの。結構重い。後ろのおやじまでが一緒になって寄りかかってくるからだ。

「大丈夫ですか?すみません。」彼女が、再び謝ってきたので、「大丈夫よ。」と答えておいた。

 8時10分

ぐっとこらえているうちに、電車が止まった。任務完了。さて、降りなければならない。

「すみませーん。降りまーす。」柔らか目の口調で第一声を発してみる。すると、私の周囲からも幾つか同調する声がし始めた。よかった。流れさえあれば、脱出できる。ほっとしたところで、さっきの彼女と目が合った。にっこり笑って両の拳を握り、「頑張れ。」と私に言った。私も笑顔で拳を作って応じ、戦闘態勢よろしく身構えた。

「降りる人がいるぞー。」
「入り口の人たち、いったん降りてー。」

さっきの老人の知恵が伝わってきたのか、降りない人々までもが協力的になり、その口調は穏やかだった。そして、その穏やかな声の力は、モーゼが海に道を開くがごとく、一気に入り口までの道を作った。
「おー。すごい連携プレーだ。」
青臭い高校生たちの群れから、感嘆の声があがる。人を押したり、引きずったりすることなく、するするっと降車に成功。

やっと着いた。



 ふだんは20分しかかからないところ、1時間も要してしまう。普通ならぐったりするところだったが、私の足取りは軽った。潮臭い外気が、おいしく感じられる。

 と、突然、海の方角の空がピカピカっと発光する。なんだろう?稲光りか?

 振り返ると、10時の方向に、大きな花火の輪がゆっくりと広がりながら浮かび上がってくるのが見えた。

 あぁ、江ノ島の花火だ。

おわり



break  2001/07/29(Sun)
 ずっと重かったので、たまには日記でも書くか。

 今読み終えようとしている「彼岸先生」のココが好き。↓

「日記は嘘しか書かない。ここに書かれた私はフィクションである。」

 さて、ここは、日記ではないけど、たまに日記だったり、たまにフィクションだったり、ノンフィクションだったり、どっち付かずだったりする。

 午後一、8月にある、ゴスペルナイトのリハーサルに出かけた。全然期待してなかったが、異様に楽しかった。歌っていて鳥肌が立つ。私としたことが、まるでエアロビ選手権の選手みたいな笑顔だったんじゃないかと、後になって反省。とにかく、実に愉快。

 帰ってきて投票へ。思ったより閑散とした選挙会場。あぁ。
 そして、今夜は、東芝日曜劇場はないんですね。あぁ。


genius  2001/07/30(Mon)
 「憂鬱な事実だが---」
 「---偉人にも弱みが・・・ディケンズです。」
 「馬の蹄の音と鞭の・・・」
 「キップリング」
 「すべての偉大なる真実は・・・」
 「バーナード・ショー」
 「人間のみが赤面する・・・」
 「・・・唯一の動物。マーク・トウェイン」

 アメリカにおける天才児の描写によく出てくるのが、こんなシーン。これは、昨晩徹して読んだ「Finding Forrester」(邦題「小説家を見つけたら」)に出てくるシーンだが、「Good Will Hunting」にも似たようなシーンがあった。とにかく信じられないほどたくさんの本(しかも名著)を読んでいて、しかもそれらの内容をしっかりと記憶している、というのが天才児の要件らしい。

 そして、たいていにおいて、その天才児は、貧しい環境に生まれ、ある日突然に、偉大な理解者に出会って導かれる。途中にその才能に嫉妬するいい大人が出てきて妨害されたり、身分不相応な女の子と恋に落ちて葛藤に悩んだりするのだが、やがてそれを乗り越えて羽ばたいていく。

 美しいアメリカンドリームだね。

 ところで、冒頭の描写のように、だれがどの本でどんな名言を記したか、なんて、はっきり言って覚えていられない。何か考え事をしていて、「そういえば、あの本あたりに、そんなようなことが書いてあった。」と思い立ち、夜中であろうと早朝であろうと、押し入れの中を引っかき回して、目指す本を探し出し、ぺらぺらとめくって、該当する部分を引き当て、「あった!」と、思って安心することは良くあるのだけれど。

 こんなとき、自分の蔵書が電子化されていて、全文検索機能が付いていれば、最高に楽だな、と思う。けれど、物体として重みを持って必ずそばにあるという確証が、私を安心させてくれるという点において、本というのは、とてつもなく重要なの存在なのである。よりどころというのではない。明晰な思考を助けたり刺激したりするサプリメント、いや、麻薬のようなものだ。べつに吸いたくなくったって、タバコを切らしている晩は、不安がつきまとう。それと一緒だ。

 感覚だけで生きていくのも、それはそれでかっこいいけど、たぶん、それだけじゃ、早く痴呆してしまう。思考できるという状態にあるということは、最高の幸せなのだ。

 とかく回避しがちな「思考」だけれど、やってみると、結構な快感をもたらしてくれる。読む→思考する→書く→思考する→読み返す→思い出す→思考する→書く・・・かなりの確率でトランスできる。

 ときに。天才である必要はないが、頭の中に、思考の宇宙を持つ人間って、相当かっこいいと思うのだが、どうだろう。だって、マット・デイモンってそんなにかっこいいわけじゃないのに、「Good Will Hunting」では、やたらかっこよく見えたもんねぇ...(そんなレベルかい)。


eguchi  2001/07/31(Tue)
 眼科のドクターストップがかかった。
 眼を休ませろ。

 会社の友人と飲んだ。
 不思議と酔わない。

 そして、江口、かっこよすぎ(見てないで眠ること)。


KEYWORD:



shiromuku(fs)DIARY version 1.03