August 2005
monologue logを見ているところ


お薦めKEYWORD: 島田雅彦、歌舞伎、勘九郎、荒木経惟、歯磨き、ワールドトレードセンター、坂本龍一、交通整理、山田太一、野田秀樹、、、

bookstore  2001/08/01(Wed)
 「ヴァンサンカンって雑誌、買ってきてくれる?後藤久美子のプロヴァンスの家が載ってるらしいのよ。ちょっと見てみたいから。」
 「いいけど。」
 「お母さん、後藤久美子、好きなのよ。ちょっとあなたに似てるでしょう。」
 「はぁ?似ても似つかないと思うけど。どこが?」
 「色の黒いところ。おでこの感じ。」

 (あぁ、そうかい)

 というわけで、本日は、帰宅時に本屋へ。
 トランタンに手が届きそうな私がヴァンサンカンねぇ、、、と思いつつ、手に取る。そう言えば、今日は1日だから家庭画報も出ている。ついでにと手に取る。ズシッズシッ、相当の重さ。(ま、我慢して持って帰ろう)と、覚悟を決め、キャッシャーに向かう途中、男性雑誌コーナーを通り過ぎると、PENが目に入る。「飾る椅子。」特集。これは外せない。ズシッ。

 最後に、文芸雑誌コーナーを通り過ぎると、「文芸別冊 総特集 小津安二郎」が。岡本太郎、小津安二郎、小林秀雄、、、最近、気になる小説家や芸術家が、話題にしているのを、よく見かける名前である。昨晩は、「島田雅彦が岡本太郎を語るという会があるんですが、行きませんか?」と、後輩の女の子が誘ってくれたばかり。小津安二郎に至っては、最近、雑誌や小説の中で何度も名前を見かけた上に、お墓のある寺まで行ったことだし。ここで巡り会ったのも何かの縁。上っ面しか知らないので、と、向学のため押さえておくことにした。ズシリ。本とドラマで手一杯で、映画まで手が回り切らないのだが。それに、小林秀雄は未開拓。今後の課題ということで覚えておく。

 蒸し暑い中、4冊の雑誌を抱え、汗だくになって帰宅すると、先週発注しておいた島田雅彦の文庫が届いていた。

 「僕は模造人間」「ドンナ・アンナ」「やけっぱちのアリス」「未確認尾行物体」「忘れられた帝国」「ヒコクミン入門」「そして、アンジュは眠りにつく」「内乱の予感」「天国が降ってくる」「優しいサヨクのための嬉遊曲」以上10冊。よりどりみどり、しあわせいっぱい。

 今は、大江健三郎の「叫び声」を読んでいる。次は、「天国が降ってくる」から読みはじめようと思う。

 が、その前に、今夜は飽きるほど眠って、目をいたわることに。


think while walking  2001/08/02(Thu)
 歩いているときって、すっごい考えません?
何かに行き詰まったときは、とにかく、歩いて、考える。


sing like a fool  2001/08/04(Sat)
 あぁ、今日は完敗。思い切りギターに声が埋もれていた。まぁ、こういう日もある。

 騒音に戦いを挑む。初めてバンドでマイクを握ったときに感じたこと。ドンドン、ズンズン、ギュインギュイン、、、増幅され、響き渡る楽器に比べて、いくらマイクに噛みついてみたことろで生の声はあまりにも無力だ。特に、スタジオ内では、負けのこと多し。バランスがとれていないからだが、負けは負け。

 今のところ、1勝1敗。
敗因は、たぶん、腹が減っていたからだ。(ははは)


revaluation  2001/08/05(Sun)
 (大人の男か...。)

 薄曇りで、ちょうど良く涼しい、海辺の公園にて。
 焼きタラバガニ、樺太マスのちゃんちゃん焼き、新鮮な筋子の醤油漬け、ジンギスカン、、、を、ゆっくりつまみつつ、飲み放題の発泡酒をあおりながら、考えた。

 最高においしい週末。

 来週は、3日働いたら、夏休みだ。


recycle  2001/08/07(Tue)
 毎月7日は、「婦人画報」と「花時間」の発売日。書店に寄って帰ると、つい、予定外の雑誌も買ってしまうことが多い。

 「湘南スタイル magazine」
 今日は、この雑誌を余計に買ってしまった。海の近くに住むとは、住むには、住んでるひとは、、、ということがテーマであるらしい、この雑誌、まぁまぁおもしろい。

 と、「ねぇ、あなたの椅子、ここに行ったんだわ。」
先に目を通していた母が叫んだ。
 「え?」
 「ほら。あなたの椅子よ!」

 母が開いてみせたページには、去年10月に引っ越した際、リサイクルショップに500円でひきとってもらったのと同じ、籐の椅子が写っていた。しかも、まだ使い道があるからと、グリーンの敷クッション・背当てクッションはキープし、丸裸の籐の状態にしてしまったところまでそっくりなのだ。

 かつてひい様が眠っていた場所に、今は、テディベアが何体か、クッションなしで立たされている。

 どう見ても、かつて私の部屋にあった椅子が、雑誌の写真に、すました顔をして写っているのというのは、なんだか妙なものである。

 ともあれ、この椅子を里子に出した最も大きな理由は、「大きすぎる」という点にあったので、今は、縁側があるような広い空間に配置され、落ち着くべきところに落ち着けて良かったではないかと、少しほっとしてみたりした。

 すばらしきリサイクルの環、ここに完成。


words  2001/08/15(Wed)
 言葉を大切にする職業に就いていたり、よく小説を読んだり、エッセイを書いたりしていると、書くこと、読むことはもちろんのこと、会話のあり方について、考えずにはいられない人が多いのでは。

  特に、私は、マニュアルを書く職業に就いているからして、人と会話しているとき、「対象読者のレベル分け」、「情報は概要から詳細へ」、「読者の思考の流れに沿って」、などなどマニュアルを執筆する際の留意点がめまぐるしく頭の中をかけめぐる。したがって、通じにくい会話の中にいると、赤ペンを入れるがごとく、その話は○ちゃんは知らないからまず補足しようよ、とか、詳細はいいからまずは結論は?とか、ん?それさっきの話の流れとどういう関係があるのさ?とか、ついつい交通整理に乗り出してしまう。

 修復不可能と判断したときは、逆に黙り込み、ひっかかった情報だけをピックアップして、後で自分で整理するか、と諦める。

 私が会話の中にいて、妙に怒りっぽかったり、妙に寛容だったりする場合は、無法状態の会話に多少なりともいらついている場合であることが多い。黙り込んでいるときは、とにかくそういうことから解放されてリラックスしているとき。

 このような交通整理や、自分のレベルを上げたり下げたりする気づかいなしに、会話が成立する相手、あなたにはいるだろうか?私はとりあえず、そういう仲間とは、気安く飲みに行く。楽でいいし、刺激もある。顔色を変えずに、じっくり飲めること、というのも条件に入るのだが。酒は、そういう会話に絶妙のテンポとスピード感を与える潤滑油だ。

 今日読んだ雑誌の記事にこんなのがあった。
人の会話というものはだいたい一種類である。天気がいいですね。と片方が言えば、そうですね。ともうひとりが答える。天気がいいですね。にたいして、なんだと馬鹿野郎。では、会話の種類が違ってしまう。
しかし、実際のところ、そんなふうに一種類の言葉で会話することのできる人の、なんと少ないことか。
たとえば。先日ひさしぶりに母親に会ったところ、彼女はずいぶん太っていた。なんでそんなに太っちゃったのよ。と、私。それがね普通の店ではもうサイズがないって言われて、大きなサイズ専門店にいったのよ、そんなところにいくとはね。と、母親。これは会話として一見成り立っているし、私たちは疑問ももたずこの後もたらたらと話していくのであるが、全然成り立っていない。「いい天気ですね。なんだと馬鹿野郎」並みに通じていない。かくして、しばらく話したのち、私たちはよく言い合いになる。ねえ、人の話ちゃんと聞いてるの?

私に最初に言葉をおしえた人物とこうなるのだから、まして、性も年もちがう、育った環境もちがう他人となんて、通じるだけで、ものすごいことである。まして、相手の言葉が(自分にとって)魅力的である、というのは、顔が百パーセント自分好みである、以上の、奇跡的な事態のはずだと、私は思うんだけど。

雑誌「Person」、恋愛プリズム#5
「言葉 Words」by 角田光代から抜粋


 そういえば、私も母とは、交通整理なしに会話することができない。結局、私が理不尽に怒り出して、会話が寸断されてしまったり、妙に寛容に交通整理しているうちに、自分が始めた会話なのに、結局自分の言いたかったことは吐き出さないまま、母を満足するまでしゃべらせることで終わってしまったり。

 私がペンをとりはじめたのは、たぶん、そういうフラストレーションをぶつけて、だれに邪魔されることなく、理想的な言葉を再構成できる世界にハマったせいなんじゃないか、と考えてみた。もちろん、そればかりではないだろうが。笑


confidence  2001/08/16(Thu)
 「表現する者は、自信がなければやっていけない」

by 熊川哲也


 この確かな「自信」。

 ルール No.1:私たちは、だからお金を払ってまで、その一瞬の表現を見に行こうという気になるのだ。ということを覚えておこう。

 ルール No.2:「自信」というものは、かくかくしかじかと説明のつくものではない。ただ、そこにあぐらをかくということとは、かけ離れた状態だ。ということに気が付こう。

 ルール No.3:能ある鷹は爪隠す?能があれば、伸ばしてマニキュア塗ってたって、獲物は採れるはずだ。謙遜と自信のなさを履き違えるな。ということを肝に命じよう。

 いったい何のルールなのやら。

 特に意味無し。


august kabuki revue #1  2001/08/20(Mon)
 8月18日土曜日、八月納涼歌舞伎を観に、歌舞伎座へ。

 八月納涼歌舞伎は、第一部、第ニ部、第三部があり、それぞれ別々の演目が上演される。私が選んだのは、「勢獅子」という踊りと、「研辰の討たれ」というお話が上演される第三部で、特に「研辰の討たれ」という演目は、野田秀樹による脚本・演出が注目されていた。

 さて、当日。ぎりぎりまでゴスペルの練習が入っていた私は、三越の地下で夕食用のお弁当を買っておくように指示しておいた母と、三越のライオン前で合流して歌舞伎座へ。花道からは遠い、舞台に向かって右側ではあったが、前から4列目というなかなかいい席に陣取った。

 シアターコクーンとは違い、歌舞伎座には、趣がある。朱色の柱、白壁、、、舞台は、どーんと横長に広く、さぁ観てくださいという堂々とした構えであり、自然と気分が昂揚する。門構えからして立派なので、外で開場を待つ間から、既に歌舞伎気分が高まり、開場して入り口の扉をくぐるときには、もう時代物の世界へトリップする感覚を味わえる。

 まだ千秋楽を迎えていないので、これから見られるという方は、以降は、今御覧にならないことをお勧めします。
 
 「勢獅子」(きおいじし)

 幕が開くと、そこは華やかに彩られた神社の御神酒所。江戸の二大祭の一つに数えられる山王祭の日なのである。

 三人の芸者が舞台中央で、しゃなりしゃなりと踊りながら、「男性陣の到着が遅いわねぇ。」と待っている。三人の芸者うちの一人は、6月のコクーン歌舞伎「三人吉三」で、お嬢吉三(女装した盗賊)を演じた中村福助(ほか二人は、中村扇雀と片岡孝太郎)。一度見たとは言え、どれが福助さんでしょう?と判別に少し戸惑うが、(たぶん)と目を付けた役者が進み出たときに、「成駒屋!」と声が掛かり、当たり、と判断できる。(だいぶ覚えたな。ふふふ)と悦に入りながら、横に座っている母に、「あれが中村橋之助のお兄さんの福助よ。」と耳打ちする(「私だって、若い頃は、よく歌舞伎を見たから分かるわよ。」と言い張るわりには、市川新之介と、中村橋之助を混同して、中村新之助とか言ってる母なので、念のため。笑)。

 さて、芸者の踊りが一段落すると、花道にライトが当たり、半被姿の男性陣が、どやどやと舞台に登場する。その男性陣というのが、中村勘九郎、坂東三津五郎、中村橋之助、市川染五郎、中村勘太郎・七之助(勘九郎の長男・次男)という錚々たるメンバー(歌舞伎を観たことがなくても、テレビドラマやワイドショーなどでだれもが一度は顔を見たことがあるだろうという役者さんばかり)なので、それだけで圧巻。場内は拍手、拍手、興奮のるつぼでございます。笑

 「中村屋!」「大和屋!」「成駒屋!」「高麗屋!」「中村屋、二代目!」と、次々に声が掛かる。(よし、よし、全部分かるぞ。)と再び満足する私。

 この、屋号が分かるという感覚。例えれば、野球好きの人がジャイアンツのユニフォームを着た背番号33を見れば「長嶋監督!」、サッカー好きの人が日本代表のユニフォームを着た背番号8番を見れば「ナカタ!ヒデ!」、ガンダム好きの人がシャーといえば「ザク!」と、叫びたくなる感覚と似ている、かどうかは知らないが、とにかくそういう早押しクイズを当てたときの鬼の首をとったような昂揚感がもたらされる。特に、私のような覚えたての初心者にとっては。笑

 そんなこんなで、場も役者も一様に盛り上がったところで、勘九郎・三津五郎、橋之助・染五郎、勘太郎・七之助というコンビに分かれて、幾つかの踊りが披露される、という風に流れていく。
 特に盛り上がるのは、「勢獅子」というだけあって、獅子舞の部分。舞も見事だが、獅子が丸くなって眠り込んでしまうしぐさなども絶妙に、そしてユーモラスに表現される。後ろ足で耳の後ろを掻いたり、欠伸をしたり、眠り込んだかと思うとピンと耳を立ててみたり。その猫そのもののしぐさの再現のすばらしさに、猫と共に暮らす私と母も感心しきり。獅子舞が終わり、獅子から顔を出したのは、頭から橋之助、足から染五郎。おぉーーー。すばらしい。すばらしい。母は、勝手に染五郎は猫を飼っているのに違いないという仮説を立てたようだった。笑

 締めは、勘九郎・三津五郎によるひょっとことお多福の踊り。面をした二人がおどけた踊りを繰り広げる。面で顔は見えないが、おどけ具合で、どちらが勘九郎かはすぐ分かる。踊り終わって面が外されると、やはり、こちらと思った方から勘九郎の顔が現れた。笑
 舞踊の演目というのは、眠くなるものだと思っていたが、「勢獅子」は活気がある上、豪華な布陣に目を奪われっぱなしで、眠くなるのネの字も浮かばなかった。

 「幕間」

 さっと「勢獅子」の幕が引かれ、35分の幕間休憩に入る。6時に始まり9時に終わるので、ここで夕食を取らねば、次の演目の間中、お腹が鳴ってしまうというものだ。用意したお弁当を膝の上に広げて食べる。せっかく来たのだから、と早めに食べて売店めぐりをし、記念に歌舞伎カラーに隈取り模様のハンカチを買った。
 35分という長い休憩。いったいどんなすごい仕掛けが舞台に用意されているのか、わくわくするところである。そろそろ、と5分前頃に席に戻ると、ガンガンガンガンと、カナヅチの音?などが幕の向こうから聞こえてくる。

 
 「研辰の討たれ」(とぎたつのうたれ)【第一場】

 「研辰」というのは、「研ぎ屋の辰次」、「討たれ」というのは、「敵討ちされる」というような意味で、タイトルの示すとおり、研ぎ屋の辰次という人物が、敵討ちの対象となって討たれるお話である。なんと酷い悲劇なのか、と思いきや、焦点は、辰次が敵(かたき)とされるお馬鹿な過程と、討ち手から逃げ回るコミカルな過程に置かれ、非常に分かりやすくも、おもしろいお話である。さて、このお話を、野田秀樹は歌舞伎としてどう料理したのか。

 幕が開くと、更に幕がある。白い幕だ。(おや)と思うが、そこに桜吹雪が影絵で映し出されている。きれいだなーと眺めていると、ドドドドドーッと坂を駆け上がり、下ってくる敵を片っ端から討っていく凛々しい侍の一群の影が、映し出される。(ほぉー、お侍さんの姿、太刀裁き、というのは、二次元の影で見ると、こうも美しいものか!)と、見とれていると、ふいに白い幕がふわーん、と落ちて、舞台が突如、現実の色付き三次元の世界になる。

 「やー!」「とー!」「いちに、さんし」と間延びのする掛け声を発しながら、のんびりと剣術の練習をしていると思しきお侍の一群。さっきの「影の侍」の鬼気迫る凛々しさから一転して、拍子抜けしてしまうほど、場には、安穏とした雰囲気が漂っている。

 舞台は、粟津(石川県)城内の道場。後に「忠臣蔵」として語り継がれる、「赤穂浪士による討ち入り」が、数日前に起きたばかりのことである。世間は「敵討ちブーム」で沸いているらしく、舞台では、運良く江戸に居合わせて、引き揚げる赤穂義士を目撃して帰って来たというお侍が三人、見て来たことの自慢し合いを始める。ほかのお侍はみな、剣術修行の手を止め、うらやましそうに話をむさぼり聞いては、「あーいーなー。」「かっこいいなー。」「俺も敵討ちがしたいなー。」と、口々に言い合い、竹刀を握る手に力を込め直している。要するに、忠臣蔵は、実に希な事件であり、雲の上の話。泰平安穏とした時代に、退屈な日常を送っている普通のお侍さんたちにとって、その美談は、格好のワイドショーネタ、憧れの対象なのであるということが伺えるというわけだ。

 このように、かくも凛々しき侍の一群(赤穂義士)と、平々凡々とした普通の侍の一群の対比が、冒頭の演出で見事に表現されているのだ。んーーー素晴らしい、野田秀樹(名前は知ってても、どんなスゴイ演出家なのか実力のほどについては、まったく知識がないけれど)、例によって筋書きを読んでない私にでも明確に、イメージが、背景が、伝わって来たぞ、と感心してみる。

 そこへ、ひょこひょこと、主人公、勘九郎扮する守山辰次が登場する。守山辰次は、殿様の刀を研いだ功績を認められて、お侍に取り立てられた、元町人。剣は研げても、剣使いはおぼつかない似非侍で、普段から成り上がり者と、由緒正しきお侍仲間たちから蔑まれている。しかも、町人根性丸出しで、剣棒を振っても飯は食えぬとばかりに、「あぁあぁ、お侍さんというのは、棒を振り回して、一生を棒にお振りなさる。」と、お侍さんを茶化すようなダジャレを言いながら登場するものだから、一同から総スカンを食らってしまう。

 そんなことはどこ吹く風、辰次は、さらに、「赤穂の義士の中にも、あぁ、こんなことするんじゃなかったと今ごろ後悔してる者が一人や二人いるに違いない。」とか、「一番お馬鹿なのは、殿中で剣を振り回した浅野内匠頭だ。」とかと、美談を平気で中傷するのだった。「なにをーーー!」と逆上するお侍たち。茶目っ気たっぷりに暴言を吐いては、相手が逆上するとへーへーとへつらう辰次。観客だけは味方だとばかり、表情をくるくる変えながら、観客に語り掛け、演ずる勘九郎の、ここは独壇場である。そして、「なにをーーー!」と逆上してみせるお侍の一人が、勘九郎の次男、七之助であるところも、何だかコミカルでおもしろい。場内、にクツクツと笑いが起こる。

 さて、そこへ、「あーーー、やかましい、やかましい。」と、三津五郎扮する御家老が現れる。すかさずお侍たちは、辰次の暴言を御家老に言いつけるが、辰次は、ひるまない。「御家老、お侍さんは、みながみな美しい最期を遂げられるわけではありますまい。脳卒中でグーグーいびきをかいたきり息絶えたり、肝硬変や、心臓発作や、、、」人を食うような、なめらかな口上は留まるところを知らない。「えーーーい、やかましい。武士は脳卒中では死なぬわ!」と、御家老に一喝され、形勢が逆転すると、今度は、「武士は脳卒中では死なぬ!...明言でございます!」とへつらい、「それでは、わたくしめに、ひとつ剣術の手ほどきを。」と、御家老を持ち上げにかかる。良い心掛けじゃが、自分が出るまでもない、息子たちよ相手してやりなさいと、御家老が長男の九市郎(染五郎)と次男の才次郎(勘太郎)を呼び寄せると、「いや、わたくしめは御家老から直々に手ほどきを受けたと自慢しとうございます。」とくる。何を大それた事を!御家老のお相手が勤まるまでには、毎日の鍛練が必要だと諭されると、「毎日でございますか?いや、私は、一週間、いや三日か四日で真似事ができれば。」と調子のいいことを言い出すので、一同に「剣術を甘く見るな!」とよってたかって責めたてられ、袋叩きにされる。

 ここで、花道にライトが当たり、奥方のご登場と相成る。扮するは、中村福助。しずしずと現れたかと思うと、袋叩きにされている辰次を認めるや、「何をする!かわいそうに!」と駆け寄り、場を一蹴する。これはいい味方を得たとばかり、みなが町人あがりだからと言って、寄ってたかっていじめるんです、と奥方に言いつける辰次。「まぁ、かわいそうに、かわいそうに。」と馬鹿っぽくかばう奥方を、福助がかわいらしく演じるところがイタおかしい。挙げ句の果て、この奥方は、「この辰次めが三日、四日で剣術を極めようなどとうそぶくので。」と御家老が言い訳すると、「あっぱれじゃ!稽古を付けておやりなさい。」と言い出す始末。この「あっぱれじゃ!」と言うときに、黄金の日の丸扇子を広げてスパっと頭上にかざしてポーズを作るのだが、それがなんとも男前な感じで、爆笑ものなのである。先にコクーン歌舞伎の「三人吉三」で女装した盗賊、お嬢吉三を演じた福助を見ている私には、そのときの男前ぶりが思い出されて、二重におかしい。その後、奥方は、辰次が何か言うたびに「あっぱれじゃ!」と扇子をかざすので、場内、笑いが止まらない。ギャハハハハ。

 さて、結局、奥方の見ている前で、御家老に稽古を付けてもらうことになった辰次ではあったが、案の定、こてんぱんに打ちのめされてしまう。その、打ちのめされる過程がまた勘九郎の独壇場。「先に討って来なさい。」と言われれば、野球の素振りの真似をしてみたり、面を取られると「御家老、卑怯でございます。今のはじゃんけんの後出しみたいに、面をとった後にメーンとおっしゃられた。」と言い訳してみたり。舞台には、侍衆、奥方、御家老に、息子二人と、非常に大勢の役者が上っているにもかかわらず、もう、それは一人芝居の様相である。抱腹絶倒。

 そして、きわめつけ。形勢一方的な稽古に退屈した奥方が去ろうとすると、体中の痛みをこらえて、奥方に這いずり寄る辰次は、息も絶え絶えに何をするかと思えば、「奥方様ーーーー、御裾が、、、御裾が乱れております−−−っ。」と、奥方の裾を正してさしあげ、なおもへつらうのであった。

一瞬の間。

・・・

 這いずったままの辰次を見下ろしていた奥方は、またも「あっぱれじゃ!」と、男前に扇子をかざして去っていく。ダハハハハハハ....。もう爆笑の渦、渦、渦...。残されたお侍一同は、そんな辰次を「世渡り侍め。」と蔑んで、その場に置き去りにするのであった。

(第一場終わり)


august kabuki revue #2  2001/08/21(Tue)
 #1、長過ぎましたねぇ。笑 つづきです。

 「研辰の討たれ」【第二場】

 場面変わって、舞台は、街頭の暗がり。怪しげなからくりが配してあり、辰次を中心に、辰次の昔馴染みの職人仲間たちが、何やら話し合っている。御家老にこてんぱんにのされた辰次は、悔しくてしょうがないので、仕返しに、闇に乗じて御家老をちょっぴり脅かす悪戯を仕掛けようとしているらしい。

 「いいかい、この板を御家老が踏む。すると、それに驚いて飛ぶ鳩あり、飛ばない鳩あり、はずみで、この歯車がぐるりと回って、提灯に飛んで火に入る夏の虫、それを合図に、この扉から、からくり人形が飛び出して、刀を振り回し、御家老のちょんまげをちょん切るという算段さ。」どうも非現実的なからくりといったところ。とにかく、御家老が通りかかるまでにからくりを完成させなければと、職人仲間たちに協力を求める辰次であったが、職人仲間たちは、見返りに金を要求してくる。「なんだい、昔馴染みの仲間じゃねぇか。ここは一つ協力しておくれよ。」と言っても、「おめぇさんは、もうお侍さんであって、職人仲間じゃねぇ。何かあったら、ユニオン(笑)を通してくんないと困るなぁ...。」と職人たちは理屈をこね始める。仕方なく辰次は、料金を上乗せしたり、押したりなだめたりしながら、からくりを完成させる。

 すると、そこへちょうどよく、御家老が家臣を数名引き連れて通りかかる。物陰に隠れて見守る辰次。「御家老、御足元には十分御注意ください。」家臣たちは、御家老の足元を提灯で照らしながら、神妙に進んでくる。「足元に注意されたら、困るんだよなぁ。」と、物陰で焦りを見せる辰次。

 ここからは御家老(三津五郎)と家臣たちのとぼけた演技が笑いを誘う。何事もなく通り過ぎたかと思うと、すっと一歩下がったり。まるでドリフのコントのような動きで、ハラハラさせる。「踏め!踏むんだ!」(きゃー、踏んじゃう!)場内は、辰次と一緒になって、三津五郎と家臣たちの一挙手一投足に一喜一憂するのだ。

 とにもかくにも、御家老と家臣たちの大半は、板から遠く離れた反対側に到達し、場内はなんとなくほっとするのだが、そこで御家老は、「ちょっとたばこを一服。」と立ち止まってしまう。ところが、火がないということで、まだ板を通り過ぎていない一人の家臣の提灯から火をもらおうとする。お約束ではあるが、そこで板が踏まれ、思わぬほか、からくりが見事に作用して、からくり人形が飛び出してくる。体中白塗り、ふんどし一丁といういでたち、さながらアダモちゃんのようなからくり人形に扮する片岡亀蔵が、「わーー!」と奇声を発して飛び出して来て、怪しい動きで剣を振り回す。すると、家臣たちは、御家老を守るどころか、クモの子を散らすように逃げ出してしまう。

 しばらくして戻って来た家臣たちは、「なんだ、驚いたが人形であったか。」と、動かなくなったからくり人形(片岡亀蔵)をつっついたりし、「あれ?御家老は?」と周囲を探す。「さすが、御家老は肝が座っておられる。こんなところで大の字になってイビキをかいて眠っておられる。」舞台中央で、御家老を見つけたのは、七之助扮する若い家臣。ほかの家臣たちは、「いやぁ、さすが、さすが。」と集まって来るが、御家老は、七之助に抱えられたまま、怪しいイビキをグアックァッとかいた後、息絶えてしまう。イビキ...?

 そう、御家老は、からくり人形に驚いたショックで、こともあろうか、脳卒中で逝ってしまったのだ!「武士は脳卒中では死なぬ!」はずなのに...。「た、大変だ!御家老が、御家老が、脳卒中で死んでしまった!」家臣たちが慌てふためいているところに、奥方と息子二人が色鮮やかな衣装で登場する。「何の騒ぎじゃ?」

 家臣たちは、「御家老が脳卒中で死んだとあっては、お家の恥じだ。ここはひとつ、御家老を恨みに思った辰次によって刺し殺されたことにしよう。」と、早口で言葉を交わし合い、七之助扮する若い家臣に、「いいから、切れ!」と、既に息を引き取った御家老に刺し傷をつけさせる。

 「奥方様、大変です!御家老が、御家老が、、、辰次に討たれました!」

 駆け寄って来た息子たち二人に、家臣らは、「坊ちゃん、敵討ちですぞ。立派に敵討ちを果たしてくださいまし。」と口々に声をかけ、その場でサクサクと九市郎(染五郎)・才次郎(勘太郎)兄弟を色鮮やかな衣装から、白い討ち入り用の装束に早変わりさせ、あっという間に、「いってらっしゃいまし!」と送り出してしまうのであった。半ばウキウキと。そして、にこやかに手を振りながら。笑

 一方、辰次は、その様子を遠くから見て、からくり人形が、誤って御家老を刺し殺したものと勘違いし、「私が御家老殺しの犯人?」「と、なれば、息子たちから敵討ち?笑」と、こちらも少々ウキウキと思いをふくらませて、その場を逃げ去るのであった。
 かくして、辰次が敵(かたき)、九市郎・才次郎兄弟が討ち手、という「敵討ちの構図」が完成した。ブームに乗って、むしろ、あっけらかんと。

(第二場終わり)


august kabuki revue #3  2001/08/22(Wed)
 台風です。大事をとって、本日は休業。
というわけで、早めにサクサクつづきを書きます。

 「研辰の討たれ」【第三場】

 家臣と奥方がニコニコと手を振って、九市郎・才次郎兄弟を見送っているときに、舞台装置が動作し、舞台中央に円形の回廊(上り下りの階段が幾つかある)が登場する。そこをぐるぐると、ひっきりなしに色んな人々が上ったり下ったりして、通り過ぎて行く中、九市郎・才次郎兄弟がとぼとぼと歩いて辰次を探している。町人、浪人に混じって、いかにも怪しそうな坊さんが挙動不審で通り過ぎたかと思うと、なぜか力士がドスコイ、ドスコイとすごいスピードで走り抜けて行ったりする。まるで、ビートたけしの仮装行列のような感じで、かなり笑える。

 「敵討ちと言っても、聞こえはいいが、敵を探し当てるのは大変な苦労だ。」と九市郎・才次郎はぼやいている。二年もの年月が経ち、もはや、父を討たれた恨みなど消し飛んでしまい、こんな苦労をさせられることへの恨みくらいしかない、と、二人。それでも、辰次を探し出して敵討ちを果たすまでは、故郷に帰れないから、とお互いを励まし合い、二人は、道後温泉のとある宿屋にたどり着く。「まさか、こんなところに、ひょっこり辰次がいたりして。」などと冗談めかして言い合いながら。

 ところが、ところが。そこは、辰次が三週間も長逗留して豪遊している宿屋であった。辰次は、宿代も払わず、日々、大酒を食らい、宿泊中の娘たちや、芸者を手当たり次第に口説きまわっては、あしらわれている。そんな娘たちの中に、とある武家の娘姉妹が混じっており、酒臭い息でいい加減に口説きまわる辰次のことを、眉をひそめて噂している。姉はおよし(福助 二役)、妹はおみね(扇雀)。二人は、「女にとって夫選びは一大事。泥棒と結婚すれば、泥棒の妻に。医者と結婚すれば、医者の妻として、歌舞伎座の御芝居も見続けられるというものでございます。」(笑)「えぇ、そうそう。野球選手と結婚すれば、妻はアナウンサーに。」「あんた、それは逆でしょう。」などと戯れ言を繰り広げ、「世は敵討ちブームですもの。敵討ちを果たす凛々しいお侍の妻になってみたいわぁ...。」と結論づける。

 宿屋の番頭(板東弥十郎)は、宿代も払わずに三週間も居座り続ける辰次のことを不審に思い、御役人(中村橋之助)に取り調べを依頼する。宿に出向いた御役人は、さっそく辰次のことを検めようと、宿帳を見ながら、辰次に生まれと氏名を述べるように言うのだが、辰次は辰次で、三週間も前に宿帳に記帳した偽名が、何だったか思い出せない。したがって、偽名を使ったことが御役人にバレてしまう。そこで、辰次は堪忍して、仕方なく生まれと氏名を正直に言うのだが、事実とはあべこべの敵討ちストーリーを涙ながらに語ってしまう。つまり、辰次の父が家老で、巨万の富を蓄えていることを妬んだ平井九市郎・才次郎兄弟に暗殺された、と言うのである。

 この語りの途中で、壇上に三味線と長唄のお囃子が現れ、辰次の偽りの敵討ちストーリーを、ヨーォ、ベベベンッと盛り上げるのだが、あれ?いつにない盛り上がりだなぁ、と不審に思えるほど盛り上がり始める。何事?と誰もが首をかしげるのだが、長唄さんはそのまま譜面台?(と、言うのでしょうか?)を抱えて舞台中央までズズズイッと進み出て、辰次の真横で声を振り絞って唄い上げるのだ。普段は舞台の端に御行儀良く並んで座り、存在がクローズアップされることのない、お囃子の長唄さんが、舞台中央で大注目を浴び、丁寧にお辞儀して引き下がるのだから、それはそれは滑稽なシーンであり、場内は、やんややんやの大喝采となる。

 御役人や番頭は偽りの敵討ちストーリーを聞き終えると、態度を一変させて辰次を敬い、九市郎・才次郎兄弟が現れたときには、一番に辰次に情報を流すと約束する。

 さて、この取り調べの前に、人払いはなされたものの、投宿中の人々は、興味津々、暖簾の端や扉の向こうから、聞き耳を立てて盗み聞きをしていた。したがって、「守山辰次が討ち手、九市郎・才次郎兄弟が敵」というあべこべの構図をみんながみんな信じ込んでしまう。

 およしとおみね姉妹は、こぞって「守山様ーーー!」と、辰次に言い寄ってくる。二人とも相手を出し抜いて、辰次の妻になろうと、歌を詠んで、辰次に返歌を求めるのだが、辰次は辰次でいい加減なので、妹おみねからもらった歌を姉およしに、姉およしからもらった歌を妹おみねに、返歌として返してしまう。そのほか、芸者にもモテ始めるし、入れ替わり立ち代わり、賛辞したり誘惑したりする人々が現れるため、辰次は、その場を取り繕ったら逃げ出そうとしていたのに、なかなか逃げることができなくなったばかりか、その状況を楽しんでしまう。

 一方、宿帳に記した姓名から、九市郎・才次郎が偶然にも宿泊していることが分かり、番頭は御役人にそのことを知らせる。御役人は、さっそく辰次に耳打ちし、「ふっ、本懐を遂げる時節到来ですな。」と喜ぶ。辰次は、加勢されては困るので、敵討ちは、自分の部屋で当事者だけで行いたいと理屈を付ける。「それは、ごもっとも。」と、御役人が九市郎・才次郎を呼びに行った隙に、辰次は荷物を抱えて逃げ出そうとする。が、しかし、「敵討ちだ!敵討ちが始まるぞ!」ってな具合に、野次馬たちが集まりはじめたため、逃げ遅れ、ついに、辰次と九市郎・才次郎兄弟と、バッタリ顔を合わせてしまう。「敵だ!」「お前が敵だ!」互いに指差し合う。

 絶体絶命の辰次!慌てて自分の部屋に飛び込み、明かりを吹き消して逃げ出そうと試みる。ここで、暗闇でのスローモーションの鬼ごっこが始まる。その動きはいつしか、野次馬をも巻き込んだ、ミュージカル「ウェストサイドストーリー」の決闘シーンの振り付けっぽくなるところが、大笑いである。芸子や振り袖姿の娘や、御役人たちが、スナップ、スナップ、キメ、キメ...わっはっはっはっは...。

 それはともかく。九市郎・才次郎が辰次の部屋に飛び込んだときには、辰次は外へ逃げ出しており、兄弟は、後を追って窓から飛び出して行く。しばらくして、部屋が静かになったので、敵討ちは終わったかと、御役人が辰次の部屋の襖を開けると、中はもぬけの空。遠く、向こうの峠の方に、辰次、九市郎・才次郎の姿が見える。

(第三場終わり)


august kabuki revue #4  2001/08/23(Thu)
 台風、大したことなかったですねぇ。
メディアは、さんざん盛り上げておいて、勢力が落ちたときは、素直に、そう報道しようよ。頼むから。笑
 今、藤沢市付近を通過中と言ってる2時間くらい前から、ずっと晴れっぱなしでしたよ。まったく。
 さて、つづきです。明日で終わりですよー。

 「研辰の討たれ」【第四場】

 峠を登って逃げる辰次、それを追う九市郎・才次郎、その後を野次馬が追っかけるドタバタ劇の始まり始まり。野次馬は、「敵討ち饅頭」という札を下げている者や、関取や、町娘や、、、とにかく雑多である。「敵討ちが見たいんだ!」「敵討ち!」「敵討ち!」「オーーー!」

 「守山様〜、敵はあっちです。」「守山様〜、敵はこちらに!」野次馬たちは一致協力して辰次に九市郎・才次郎兄弟の居場所を教えたり、九市郎・才次郎の邪魔をしたりする。九市郎・才次郎兄弟は、どうして野次馬たちが自分たちを敵と呼ぶのか、いぶかりながらも、辰次を必死で追いかける。勘九郎は二階や三階の観客席に現れたりしながら、縦横に走り回って逃げる、逃げる、逃げる。

 辰次が宿でおよし・おみね、芸者たちに口説かれたとき、「あなた様は私の未来の夫。」と、めいめいに腰紐をぐるぐると結びつけられていた。水色、黄緑色、赤色の腰紐をヒラヒラさせながら、走る辰次。追いつかれたか!という瞬間、九市郎・才次郎は、赤色の腰紐の端っこを引っ張って、辰次を手繰り寄せようとした。辰次は「あ〜れ〜〜〜....」と、クルクル回って舞台の裾へ消える。そうはさせじと、ヨイショ、ヨイショと引っ張る九市郎・才次郎。引っ張っていた腰紐は、いつの間にか、こちらの峠とあちらの峠を結ぶ畚(ふご:今で言うロープウェーかリフトのようなもの)のロープとなって、舞台に張られる。勘九郎の「あ〜れ〜〜〜....」がおもしろすぎるせいか、引っ張る染五郎は、必死で笑いをこらえている(ていうか、笑っていた)。

 最初に畚乗り場に辿り着いた辰次は、番小屋の番五郎(片岡亀蔵 二役)に金を握らせ、「後から追ってくる二人に、刀は後から送るのが決まりだと言って、刀をとりあげてくれ。」と念を押して、畚に飛び乗った(飛び乗ったと言っても、ここは張られたロープに手ぬぐいを引っ掛けて進む、というシンプルな演出)。追い付いた九市郎・才次郎たちは、仕方なく番五郎に刀を預けるが、もっと金を積んで、辰次に追いつけるように早くひっぱってくれと頼む。舞台と花道に縦横に張られた紅白のロープをつたって行く敵と討ち手。それを舞台奥の高台から見下ろして大騒ぎする野次馬。追いつくか、逃げ切るか!もうスリル満点である。

 辰次が逃げ切れるか!そう思った瞬間、野次馬たちが「守山様ーーー、敵は後ろです!」とロープを手繰り寄せ始めたので、スルスルスルーと辰次は奇しくも九市郎・才次郎兄弟の元に近づいてしまう。宙ぶらりんの状態でようやく対峙した敵と討ち手。ところが、辰次の機転によって、九市郎・才次郎は刀を持っていない。
 「やれー!」「討てー!」との声援に辰次は、仕方なく九市郎・才次郎を乗せた畚のロープを切る。九市郎・才次郎が落下していく。ところが!二人は松の枝に引っかかって命を取り留める(黒子がパッパッと広げた松模様の扇子に引っ掛かる)。九市郎・才次郎に駆け寄る野次馬たち。辰次は、その隙に、畚を進ませて向こうの峠へ逃げて行った。

 「御主たちは、なぜ我らを敵と言うのだ?守山こそが我らの敵。」と、混乱した頭で問いただす九市郎。「何を言うか、そっちこそ我が夫の敵!」とおよし。「何ですって?我が夫?守山様は我が夫。だって、ほら。」と辰次が渡した返歌を見せるおみね。「その歌は!私の!」

 ここで、辰次のいい加減さがバレてしまい、野次馬たちはみな、敵討ちの構図のねじれを理解するのである。手のひらを返したように、九市郎・才次郎に協力的になる野次馬たち。およしは「キャーーー、私の未来の夫、平井様〜。」と九市郎に抱きつき、おみねは才次郎に抱きついて、早々に乗り換える。この、およし・おみねのキャピキャピ演技は、普通の芝居で、女の人がやっていてもそれなりにおもしろいのだろうが、娘姿でも本当は、福助・扇雀なのだと思えるところが、ひどくおかしい。それをマジに嫌そうに、振り払うキリっとキメた若者二人の演技が微笑ましくて、大笑いである(だって、あの染ちゃんがオカマに言い寄られている図、にも見えるので。笑)。

 「平井様、敵は向こうの峠の大師堂に隠れたと思われます!」大師堂というのは、全国のお遍路さんが集まり、百万遍の祈りを捧げる場所。辰次はそのお遍路さんたちの中に紛れて隠れおおせようという魂胆に違いなかった。

(第四場終わり)


august kabuki revue #5 2001/08/24(Fri)
 さて、いよいよ最終回です。

 「研辰の討たれ」【第五場】

 舞台半ばに幕が張られ、大師堂内の百万遍の場となる。そこで大勢のお遍路さんたちが百万遍を唱えている。お遍路さんたちの間をすり抜けて、身を隠す辰次。そこへ、九市郎・才次郎が入って来て、「辰次ー、どこだー!」と叫ぶと、お遍路さんたちが、みながみな百万遍を唱えながら片手だけ動かして、ホィッと辰次の居場所を指し示す。この敵討ちの噂は、四国中に広まり、お遍路さんにも周知というわけなのだ。慌てて隠れ場所を移動する辰次。「辰次ー、どこだー!」ホィッ。「辰次ー、どこだー!」ホィッ。「辰次ー、どこだー!」ホィッ。という具合なので、辰次は、あっという間に捕まってしまう。野次馬と化したお遍路さんたちは、聖なる大師堂を血で汚してはと、辰次を外に担ぎ出す。

 すると、百万遍の場を表していた幕がさっと消えて、舞台は一面、赤や黄色の紅葉が生い茂った境内となる。ほーーーーぉう、その美しさに、場内、みな息を呑む。追いついた野次馬たちは、「敵討ち!」「敵討ち!」と大合唱である。「キャー平井様〜〜〜」クルクルクルクル〜〜〜。およし・おみねも奇声を発したり、いきなり抱きついたりして応援する。(笑)

 辰次は、そんな大勢の群集の前に引きずり出されても、堪忍することはない。ここからは、勘九郎による、なりふりかまわない、必死の、しかしコミカルな命乞いの一人芝居が繰り広げられる。
 いざ立ち会いとなると、刀を投げ出し「勝負とは分からぬからするもので...。」と理屈をこねたり、「坊主になって御家老の菩薩を弔わせて」と哀願したり。「坊ちゃんたち。特にあなた。」と才次郎(勘太郎:勘九郎の長男)を見やり、「わたしは、気のせいか、あなたが、こーーーーんな小さいときから、よーーーく存じているような気がいたします。」(笑)「そして、あなた。」と九市郎(染五郎)を見やり、「あなたのことも、こーーーんな小さなときから、お世話して参りました。」(笑)「とにかく、そんなよく見知った人間がですよ、死ぬのは嫌だと勝負を放棄しているのにですよ、殺してしまうのは、敵討ちでも何でもない。それは、人殺しでございますよ。」と、情に訴えたり。かと思うと、「わたしは人間ではありません。犬でございます。斬れるものなら斬ってごらんなさい。わんわん、わんわん。」と這いずり回って見せたり(刀は神聖なもの。したがって動物の血で汚すことは忌み嫌われた)。とにかく、転げ回って命乞いをする辰次。コミカルな中にも哀愁漂う勘九郎の演技が光る。

 「早くやれー」「そうだそうだ!」野次馬たちはいらだつ。
 「キャー平井様〜〜〜、平井様が討たれないのであれば、未来の妻である私が代わって。」と短剣を取り出すおよし。(笑)「何?」と九市郎に睨まれて引っ込む。

 そこへ、大師堂を守る僧良観(中村橋之助 二役)がやって来る。研ぎ屋なら、決心が付くまで九市郎・才次郎の刀を研いでおやりなさいと辰次に、麦湯でも飲んで待っていなさいと九市郎・才次郎に提案する。

 刀を受け取って研ぐ辰次。研ぎ終わった時が死ぬ時なのだ。自分が研いだ刀で死ぬのであれば、本望なのか?「散るのは桜ばかりではありません。紅葉だって散っていくものですが、中には散りたくないーっと思った紅葉がどれだけ多くいたことか。」と涙を流しながら懸命に刀を研ぐ辰次。

 良観は、「だれしも死ぬのは嫌なものです。できることなら、助けておやりなさい。」と言い残して去る。九市郎・才次郎はその言葉に心を動かされる。野次馬たちの中にも、その頃には、「助けてやれよ。」という声が混じり始める。九市郎・才次郎はいたたまれなくなり、「犬を斬る刀など持っておらぬわ。勝手なところへ行け!」と刀を鞘に納め、去っていく。

 「なんだ。お仕舞いか。」敵討ち観戦を期待して見守っていた野次馬たちはがっかりする。が、そのとき、峠の向こうから「敵討ちが始まるぞー!」という声が聞こえ、「何?敵討ち?」「敵討ちが見られるぞ!」「敵討ちが見たいんだ!」「オー!」と、野次馬たちは、ゾロゾロとそちらへ流れていく。

 舞台にたった一人取り残された辰次は、「助かったーーーーー。」と、転げまわって安堵する。そして、良観が置いていった麦湯に手をのばしてごくごくと飲んだとき、九市郎・才次郎が駆け戻ってきて、あっと言う間もなく、討ち果たされてしまうのである。九市郎・才次郎、共に見事な一太刀。観戦する野次馬はだれもいない、静かであっけない最期。

 九市郎・才次郎は、立派に本懐を遂げたものの、「やはり人殺しをしたような気がしてしまうなぁ。」と、あまり気の晴れない様子で、その場を後にし、二年ぶりの故郷への帰路につく。

 なんと、衝撃的なラスト!筋を知らなかった私は、そこで愕然としてしまった。あんなにコミカルに逃げ回って、やっと助かって、ハッピーエンドだと思ったのに....。おもしろおかしかったシーンが次々と頭に浮かんで来る。それこそ走馬灯のように。(あ、実は研いでいたとみせかけて、刀を切れないようにしちゃってたとか、そういう落ちじゃないの?実は死んだふりで、まだ生きてるね。)とか考えてみたりする。とにかく、脳みそが目の前のストーリーの決着を受け入れようとしない。

 そのとき、舞台中央で息耐えた辰次に向かって、天井からぴーーーん、とピアノ線が張られていることに気付く。キラーンと光ったのは、そこにライトが当たったからだ。ん?何だろう?
 すると!そこに一枚の紅葉の葉が出現し、ピアノ線をつたって、ツツーツツツーーー、と辰次の上に散り落ちていく。ゆっくり、ゆっくりと。紅葉の葉が辰次に到達したそのとき、静かに、そして、キッパリと幕が引かれる。

 ジーーーーーーン。

 落ちていく一枚の紅葉の葉。

 周囲は一面、生い茂った紅葉の木で飾られているので、辰次が散った瞬間、「散り行く紅葉吹雪きの大スペクタクル!」という演出も考えられたのだろうに(笑)、たったの一枚。しかも、確実に辰次の上に落ちゆかせる。落ち行く葉を目で追いながら、図らずも、ジワリと胸が熱くなった。

 最初から切れ間なくゲラゲラと笑わせっぱなし、そして、幕が引かれるときには、涙を溢れさせる。これが野田版「研辰の討たれ」の全容であった。ああーーー泣かせるーーー。ニクイーーー。場内は割れんばかりの拍手、拍手、拍手。幕が開き、深々とお辞儀する出演者一同に、場内は立ち上がって拍手を送り続けたのであった。

(第五場終わり)

 今回はコクーン歌舞伎に続き、心にヒットした歌舞伎。野田版の歌舞伎は、コクーンのそれよりも、もっと分かりやすかった。またあれば、必ず観に行きたい。

 四季のミュージカルは食えないけれど、日本の歌舞伎は、世界に誇れますよ、御存じですか?そこのあなた。笑 ふーん、と笑って観に行かないのは損というものです。

おわり


sanagi   2001/08/26(Sun)
 彼はほとんど、放心状態だった。思考をめぐらせることなどできなかった。頭の中では、考えが古い毛糸玉のようにもつれて、ほどけない状態だった。彼はしばしば、こういう<さなぎ>の状態に陥った。長くて一時間、短くても十五分間は何も手につかない<さなぎ>の状態は、彼にとっては、一種の休息なのだ。この不随意の休息がなければ、おそらく外池はオーバーヒートしてしまうだろう。

「優しいサヨクのための嬉遊曲」島田雅彦

 本日は、<さなぎ>の日と決めた。
こういう日にかぎって、いつも鳴らない電話が何度も鳴ったりする。ごめん、今日は<さなぎ>の日なんだ。また今度。

 昨晩は、250人とともに、5000人の観客の前で歌った。
 「ゴスペルは、神への祈りの歌ですが、信仰のない人は、神じゃなくていい、だれでもいいですから、たとえば傷付いているひとがいたらそのひとために、それが自分自身であれば自分のために歌ってください。」

 先生は、23歳のファンキーお姉ちゃんだが、なかなか渋いことを言う。

 いつものメンツに新しい風。幸せな笑顔を肴に酒を飲み、ステージで受け取った花束を抱えて、深夜に帰宅。

 そうして、今日は一日、<さなぎ>で過ごした。


idou  2001/08/27(Mon)
 社会人になって4年半。

 私にしかできなかった仕事が、だれもができる仕事になってきた。啓蒙の甲斐あり、とばかり、1年くらい、モラトリアムを楽しんだが、そろそろ新境地へ旅立つことにした。

 いくら泰平とは言え、あまり長いこと一所に留まると、想像力が枯渇する。

 再来月からは、東京タワーや高層ビルとお友達。
 まずは、新しい通勤経路に、気軽に立ち寄れる本屋と、現像所を探さねばなるまい。


yokou enshuu  2001/08/29(Wed)
 「じゃ、7時に新橋で。」

 東京勤務は再来月からなんですけど。予行演習ですか?
 まだ週も半ばだというのに、ビール、紹興酒と、がぶ飲みオンパレード。ひさびさにグルグル回って、正気に戻ったら、そこは平塚。

駅員:「終点ですよー。」
タクシー運転手A:「乗り越しちゃったんですか?」
KSQ:「えぇ、ちょっと。」

 ちょっとじゃないね。ぜんぜん。
 静岡行きじゃなくて、よかった。ホントに。


jack amano  2001/08/30(Thu)
 すごく痛いのに大丈夫と言い、手放しで喜べなくてもおめでとうと言い、面倒なのに頑張ると言い、気になってしょうがないのに素知らぬふりをする。
 そうまでして冷静さを保ち、いったい何を死守しているのか。

 今読んでいる本:「内乱の予感」島田雅彦

 表紙のポートレートが、たまらなく、かっこいい。主人公は、ジャック・アマノという名の暗殺者。

 そうね。そうよ。あまのじゃく。


so what  2001/08/31(Fri)
 特別でもなく、夏らしくもなかった。
 ただ猛暑の記憶だけがある。
 20代最後の夏は、こうして終幕を迎える。

 3年前。
 広さだけが取り柄のぼろアパートにて。
 「できたら、3年くらい先までねぇ...、ご契約いただけたら。」という新聞売りの申し出を、「いやぁ、3年先まで住んでいるかどうか、お約束できませんから。」(住んでいたくもない)と苦笑いして断った。

 30になり、裏寂れたアパートの一室に独りで暮らしている自分を、想像してみたくもなかったのだ。

 それでも、独りでなければ平気なのかもと、そのときは、一瞬で打ち消せた。

 とにもかくにも。
 その場所からの脱出には成功し、帰るのが楽しみになる家、生活、そういうものを、自らの手で形にできる自分がここにいる。

 睡眠学習のようにやり過ごしてしまった夏を思って。


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shiromuku(fs)DIARY version 1.03