人の会話というものはだいたい一種類である。天気がいいですね。と片方が言えば、そうですね。ともうひとりが答える。天気がいいですね。にたいして、なんだと馬鹿野郎。では、会話の種類が違ってしまう。
しかし、実際のところ、そんなふうに一種類の言葉で会話することのできる人の、なんと少ないことか。
たとえば。先日ひさしぶりに母親に会ったところ、彼女はずいぶん太っていた。なんでそんなに太っちゃったのよ。と、私。それがね普通の店ではもうサイズがないって言われて、大きなサイズ専門店にいったのよ、そんなところにいくとはね。と、母親。これは会話として一見成り立っているし、私たちは疑問ももたずこの後もたらたらと話していくのであるが、全然成り立っていない。「いい天気ですね。なんだと馬鹿野郎」並みに通じていない。かくして、しばらく話したのち、私たちはよく言い合いになる。ねえ、人の話ちゃんと聞いてるの?
私に最初に言葉をおしえた人物とこうなるのだから、まして、性も年もちがう、育った環境もちがう他人となんて、通じるだけで、ものすごいことである。まして、相手の言葉が(自分にとって)魅力的である、というのは、顔が百パーセント自分好みである、以上の、奇跡的な事態のはずだと、私は思うんだけど。雑誌「Person」、恋愛プリズム#5
「言葉 Words」by 角田光代から抜粋