花見頃


「私、あの人に決めたわ。」
と、隣に座っている彼女が言った。
「そう。」
私は、まだ名前も知らない彼女に爽やかな笑顔をつくって応えた。

自分の好きなお菓子にわざと唾を付けてみせる小学生みたいだ。
そう彼女のことを侮蔑しながらも、
女なら誰もが唾を付けてみせたくなるような男に、
どうしても惹かれてしまう自分自身に呆れ果てる。

春がくると一斉にもてはやされる桜は、
盛りが過ぎると、ただの街路樹に成り果てる。

後には宴の残骸と、踏み付けられた花弁だけがとり残され、
それさえも、いつしか消えていく。

彼女のまとわりつく視線を浴びてしまった彼の姿は、
私の瞳の中で既に色褪せてしまっていたが、
満開の桜のように散ることから逃避するがごとく、
サワサワ、サワサワと続いていく宴の中にいて、
私は、独りぼんやりと「来年こそはあそこで桜を見よう」
などと考える。

来年こそは、誰も知らないあの場所で。