寄り道


僕はその朝、いつもの時間に起きて、いつものように朝食を取り、
いつものバスに乗って駅へ向かった。
電車を待つ間、少し春の匂いのする空気が漂っているような気もしたが、
それ以外は、いつもと変わりない、ただの出勤日の朝だった。

(明日は冬物のコートをクリーニングに出してしまおう)、などと考えを巡らせていると、
いつもの電車が定刻どおりにやってきたので、僕はそれに乗り込んだ。

いつもの電車のいつもの車輌だった。
乗り込んでみると、そこは子供連れの母親や学生のグループで占拠されていた。

(そう言えば、今日から春休みなのかな)と、僕はぼんやりと車輌の中を見渡した。

「お母さん、春休みは宿題がないんだよ。」
「友だちたくさんできるかな。」
「学生最後の休みだよな。」
「就職したらうまくやっていけるかしら。」

そんな会話を拾い聞きしながら、
僕は、いつになく解き放たれた気分がふつふつと充満してくるのを感じた。

僕には、今日も取り立てて心配ごとがなかった。

僕は、ふと思い立ち、一つの窓に近寄って、思い切りその窓を押し上げた。
春一番が一瞬にして車輌の中を吹き抜ける。

その風に乗せられたかのように、電車は会社のある駅にあっという間に到着した。
車輌の出口には、下車する列ができたが、
僕は、その列に加わらず、空いた席にゆったりと腰掛けて、その駅を見送った。

(そうだ、海に行ってみよう)、と考えながら。